国際政治学のパラダイム / 危機的状況の日本を救うには…【時事所感161】
今回は国際政治学のパラダイムについての話になります。
私自身これに気が付き始めたのは20代前半、
当時、日本の国際政治学現実理論派とされる方で、テレビ番組にも出演されていた有名大学名誉教授の著書を数冊読んだのですが、
自身腑に落ちないことから調べ始めたのをきっかけとして、国際政治学や外交史を勉強しました。
今回も金融アナリスト、国際政治アナリストの伊藤貫氏のお話を御紹介します。
(以下、敬省略)
(伊藤貫氏)
今回は国際政治のパラダイム、つまり学派ですね。
国際政治学には6つのパラダイム、学派があるんです。
これは非常に重要な議論です。
国際政治のパラダイムの6つから日本はどのパラダイムを選択、考え方を採用するのかということに日本の生存がかかっていて、
現在の国際社会のなかで
日本が生存できるか否かということなんです。
国際政治において誤ったパラダイムを選択してしまうと、間違った考え方のパターンを選んでしまうと、
日本は滅びますね。
現在日本は4カ国の核保有国に包囲されていて、
そのうちの近隣周辺の3カ国、中国、ロシア、北朝鮮は日本やアメリカ本土に届く核ミサイルを配備していて、
しかも高性能の核ミサイルを開発して次々と増産保有していっているんです。
現在、米国が非常に高額で日本に買わせているミサイル防衛システムを無効にする高性能の核ミサイルを増産保有しているわけです。
米国はこれを知っていながらも非常に高額で日本にこのミサイル防衛システムを買わせているんです。
米国は百も承知なんです。
日本やアメリカ本土に届く高性能の核ミサイルをロシアや中国、北朝鮮が増産保有しても、
米国は決して日本の核保有は認めないんです。
ロシア人や中国人、朝鮮人がいくら核ミサイルを増産保有しようとも、日本人には決して核は持たせないと決めてあるんです。
こういう政策を米国は実行しているわけです。
こうした状況があと10年も続くようであれば日本は更に国際社会のなかで身動きがとれない状態になるわけです。
現在でも日本は身動き取れない状態なのに更に状況は悪化していく一方なんです。
中国、ロシア、北朝鮮というアメリカ本土に届く核ミサイル保有国と米国は本気で戦争をするつもりはありません。
だから日米同盟のクレディビリティ信頼性は尚更おちていくわけです。
こうした状況があと10~15年程続けば、
日本は国際社会において本当に身動き出来ない絶望的な状況に追い込まれます。
国際政治学のパラダイムをどれを選ぶかによって外交政策は決まっていくんですが、
この国際政治パラダイムをはっきりさせておかないと、どういう外交政策を選べばよいのか判らない。
私の考えでは、日本の過去76年間の対米従属政策、対米依存政策は確かな国際政治学のパラダイム、外交政策の考え方に基づいたものではなかった。
単に米国との戦争に負けて叩きのめされたからといって、
米国軍に占領されて、
日米安保条約を押し付けられ、
占領軍憲法を無理矢理押し付けられたわけです。
日米安保条約を押し付けられ、
占領軍憲法の憲法9条を押し付けられ、
米軍が占領駐留し続けて、
これでは日本は永遠に実質的な独立が出来ないわけです。
日本を実質的に独立出来ない状況に追い込んでおいて、
ある程度はお金儲けさせてもいいというのが米国の対日政策だったわけです。
これでは日本は本当の経済政策、真の国防・軍事政策というのが出来ない。
こういう状態を日本は76年間もの間ずっと続けてきたわけで、
現在もそういう状態を続けていて、
既に身動き取れない状況なのに、10年後の日本を考えると益々悲惨な状況に追い込まれるわけです。
我々日本としては、どういう国際政治の考え方、パラダイムを選択しているのかをはっきりさせておかないと、
明確な外交政策を設定出来ないわけです。
そうしなければ確かな国家戦略というのが打ち出せないんです。
これが出来ないのであれば日本は米国と中国に弄ばれる一方なんです。
故に国際社会における日本のビューポイント、視点を明らかにしたほうがいいわけです。
物を考えるときに、3つの段階があります。
西洋言語、英国やフランス語、ドイツ語とか西洋言語でいうと「思考の3段階」がありまして、
①Philosophical level
「フィロソフィカル・レベル」(哲学的、宗教的段階思考、最上段に位置する抽象度の高いレベル)
②Paradigm level
「パラダイム・レベル」(我々が採用したフィロソフィカル・レベルを基に思考する次の段階思考、学派レベル)
③Policy level
「ポリシー・レベル」(政策レベル)
①を基に②のパラダイム学派レベルを選択し、
それを実現するためにはどういう政策を具体的に採用して行うかの最終段階レベル。
この思考の3段階を日頃常に意識しながら、
どのレベルで自分が考えているのかを意識して思考しないと、
質クオリティの高く、安定していて一貫した議論というのが出来ないわけです。
この3段階の思考をするうえにおいて、
日本語という言語はあまり馴染まないんですね。
困ったことに日本ではこの思考の議論は、
マスコミでもこれらの話は出てこないんです。
政治家でもこの話は出てこない。
恐ろしいことに外務省とか防衛省とか官僚レベルでもこの議論が殆ど出てこないんです。
それから日本の大学はどうかというと、大学レベルでも実際のところ殆ど教えていないんですよ。
私は学生時代東京大学で学んでいまして、
東京大学の国際政治学の教授4人の先生の講義を受けていたんです。
この教授らの一人は護憲左翼の方で朝日新聞とかに頻繁に寄稿を書かれている方で、
あとの3人の教授は所謂親米保守といわれている方々で、
佐藤栄作元首相の政策秘書で、もう一人の方は後に首相になる中曽根康弘の政策ブレーン。
世間の評判が高い方々で、私はこの教授らは偉い人達なんだろうと、本当の国際政治を知っている人達なんだろうと思いながら、講義で話を聴いていたんです。
その後に私は米国の二つの大学で国際政治を学びまして、その後にワシントンで外交政策と経済政策の分析レポートを書く仕事に就いたんです。
それから気が付いたのは、
日本の大学で教えている国際政治学と米国の大学で教えている国際政治学は随分と質が違うと。
もう一つ気が付いた点は、東京大学の先生達が教えている国際政治学では説明がつかない政策設定や議論が多いことに気が付いたんです。
日本の総理大臣の政策秘書やブレーンをしていた教授らというのは、
実は日本の戦後体制、つまり米国依存体制、米国従属体制の政策を無理矢理正当化させるための国際政治学をやっていたに過ぎないということなんです。
米国ワシントンに来て初めてこれに気が付いた。
それで私なりに国際政治について勉強をしたわけです。
これから国際政治学のパラダイム6つについてお話します。
(続)
プラトン哲学と国家の独立・・⑩伊藤貫【時事所感160】
話の続きで最終の10回目です。
お話は伊藤貫氏です。
(以下、伊藤貫氏)
だから民主主義は失敗するとプラトンは有名な本「国家」で言っていて、
実はソクラテスもそうなんです。
今回の議論のなかで最も重要な点を述べます。
ソクラテスも
プラトンも
人間にとって、そして国家にとって最も大切なものは何か?
それは、
質の高い価値規範を維持すること。
徳のある人生を生きること。
徳のある国家をつくること。
要するに質の高い価値規範、それからvirtue徳ですね、
質の高い価値規範や徳のある人間になること、
質の高い価値規範や徳のある国家をつくること、
これが政治の目的であると。
プラトンも、経済規模や人口規模や領土の広大さ等は問題ではなく、
国家人口が5万人であろうが50万人、500万人、5,000万人であろうが国家の偉大さとは何の関係もない。
たとえ数百万人程度の国家人口でも人口10億人の国より偉大であり得る。
何故ならば、人口数百万人程度の国家が質の高い価値規範を実行していて、 徳のある生活、人生をその国の人々が生きているならばその国家のほうが遙かに偉大である。
軍事力や経済力、規模というものは国家の偉大さとは何の関係もないと。
プラトンもソクラテスも彼ら2人が述べているのは、
国家の最終的な目的は、質の高い価値規範を維持すること、
そして国民が徳のある生活を送ることであると。
これが1番大切なことであり、
国家の経済規模や軍事規模は無関係であると。
ソクラテスが述べているのが、
そういう国は独立を守らなければいけないと。
何故ならば、質の高い価値規範と徳のある国家がその独立を守らなければ、
周りの価値判断力の無い国や徳の無い国に蹂躙されてしまうからであると。
ソクラテスはプラトンの著作のなかで、
他の国に従属するくらいなら、
他の国に隷属するくらいなら、
国民は全員戦って死んだほうがマシだと。
要するに海外では、独立した質の高い価値規範や価値判断を守って、徳のある生活を国民が送るということが国家にとって1番重要なことであり、それを守るためには戦うことを恐れてはならないと。
ここまで述べると皆さんはもうお判りだと思います。
日本は77年前に先の戦争で負けたからと米国軍を未だに日本に進駐させておいて、
どう見ても日本の外務省や防衛省は自主防衛しようというつもりは全然無いんです。
周りの国々がどんどん軍備を増強して核ミサイルを増産保有しても、
アメリカ政府、米国にくっ付いていればなんとかなるだろうと。
アメリカ式資本主義、株主優先の金持ちだけがどんどんどんどん利益を得て、一般労働者たちはどんどん貧しくなる、
そういうアメリカ式の資本主義を押し付けられてもそれを実行して、日本国民の生活をどんどん苦しくしていると。
そうして日本国民の精神も荒んでくると。
そして皆さんご存知のように、
「今だけ、金だけ、自分だけ」
この方向に追い込まれているわけです。
過去77年間日本の政治家は、重光葵と石橋湛山を例外として、
日本から米国軍を追い出して自主防衛するという当たり前のことをしようとはしなかった。
石橋湛山も重光葵も、
「人間にとって1番大切なのは高い価値判断を実践することだ、徳のある生活をすることだ」
としたわけです。
全部をアメリカの属国として、
アメリカの戦争やアメリカの経済政策をして、
アメリカに追従していくだけの生活を続けてきたわけです。
過去77年間日本人の在り方というのは、
ソクラテスとプラトンが描いたような国家の在り方とは全く逆の生き方をしてきたわけです。
彼らにとっては目に見える軍事力、目に見える領土、目に見える経済規模よりも、
精神的なノーブル・マインドネス、ノビリティ、
要するに精神的な崇高性、それから徳のあるか否かということのほうが国家の在り方にとってもっと重要なわけです。
彼ら二人とも、
目に見える利益より目には見えない利益、
目には見えない価値と価値判断、
これを重視した人だったわけです。
これが海外にとっては哲学するということなんです。
「ソクラテスの弁明」という本を読めば、
ソクラテスがそういう人だということが100%分かります。
話の最初に戻りますが、
過去77年間の日本というのは哲学的レベルでの判断というのが殆ど何も無かった、
それからパラダイムレベルでの判断があったかどうかも怪しいわけで、
目先の利益だけを考えて米国に従属してきたわけで、
そういう生き方しか出来なかったわけです。
私はソクラテスやプラトンの本を読んでいると、これは過去77年間の日本人の生き方とは正反対の議論だなといつも思うんです。
今回はこの点についてお話しました。