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福祉に関わる人たちへ

人生はどれだけ多くの気づきを経験したかで、如何様にもなるものです。誰かが言っていますよね。「人は思うようにならないと言うが、そう思っているという意味では、思い通りになっている」と。

こんにちは、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。 


福祉に専門家が必要かどうか?

僕は、今になっては、もういらないと思う。
「いらない」と言う意味はちゃんとある。


パン作りだって、作り方をまったく知らない、パンを作った経験もない人が
今日から、東京の1等地でパン屋を経営してくれと頼まれても出来ないだろう・・・

同じようにただ単に、誰がやっても福祉なんて同じだと言ってるわけじゃあない。


よく、パンの道10年だの20年だの言って、ベテランパン職人みたいに言われる人がいる。
はたして、本当にそうだろうか?

僕は実際に見てきて、違うと思う。
今日入ってきたばかりの人でも、パンに対する愛情とお店への愛情がある人の方が、
よっぽど、いいパンを作る。何より、楽しそうに振舞う。

どの世界でも同じで、ただ飯を食うために、毎日毎日、機械のように作業をこなしていたって
何にも気づけやしない・・・

自分の中にしっかりした軸(マインド・セット)を持たなければ、職人でも専門家でもないということ。


そう考えると、今の福祉はどうだろう?

福祉について学ぶところは山ほどある・・・
じゃあ、その学校行って、卒業して、福祉の世界に入って、何するんですか?

しかも、限られた小さな箱(施設)で何をしていくのだろうか?


答えられる支援者がどれだけいるのか?


支援方法を学ぶことや、関係機関と情報共有することなんて専門家でもなんでもない。


前にも書いたかもしれないけど、どんな職業や人間関係でもそこに「真実の愛」が存在するのかどうか?

「現実問題、食っていかなきゃいけない」「この不況の世の中で、安定した仕事だし・・・」
なんていう声が聞こえてきそうだ・・・


むかしの僕は、自分自身もパートナーも含め、障害や世間体というものに向き合うことが多かった・・・

だから、障害者を支援することで、自分たちを認めさせたいという思いが無意識下に存在していた。


「障害は障害じゃないんだ」「健常者も障害者もないんだ」なんて・・・



障害者のため、世の中のため、自分の使命・・・
幼い自分がいた。



形に囚われてばかりいた。



なんにもないのに。
本当は・・・



障害者が自立していくことが目的ですか?

企業が支援者の役割を果たせるようになることが目的ですか?

両方達成できたら、支援者の皆さんはどうします?


障害者のみなさん、支援者のみなさん、

【福祉の専門家】とはなんですか?














おはようございます、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。 


最近、このブログに書くことが減りつつある・・・

何故か?理由は簡単。


このブログに書きたいことがなくなっているから。



勘違いしないでほしい、

「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」 という思いは変わらないし、

これからも障害者とか健常者とか、障害特性だとか適応だとか、くだらない考え方に異議を唱え続けたいとは思う・・・



うちの職場には、いま支援者が来ることはほとんどない。もちろん最初の1日、2日は様子を聞きに来たり、
たまーに電話がくることもなくはない。



簡単にいえば、問題がないからだ。



あくまで、僕の考えだが、問題がないほど、支援者にとっては引き方が難しい・・・
障害者をただ観てるか、メモをとる(とってるふり)かくらいしかないから、いても居心地が悪い。

まあ、支援者の方が読んでいたらよくわかるはず(苦笑)・・・



僕の職場にいるみんなは、戦力だ。
本当にみんないろんな特技がある。

仕事というのは障害者がいない職場でも同じで、人に任せることがいちばん難しい。
しかし、任されるということが人はモチベーションが上がるし、成長する。

支援という言葉が存在するのなら、「任せて、信じること」
今の僕はそう思ってみんなを信じている。

*もちろん、なにかあった場合の責任は取る覚悟で。

これは、経験上、障害者も同じ(任せ方は臨機応変に)。
だから、僕の職場は主に障害者が作業をする。


僕は、ここに来る時、面接官に言ったことがある。

「みんなと同じステージで働きたい」と。


与えられた役割は、責任者・(障害者の)指導者かもしれないが、支援するとか
指導するとかいう気持ちはなかったし、同じステージで最高のパフォーマンスをお互いにしたかったからだ。


いまさらだが、僕は支援者と障害者の関係が大嫌いだ。
助言!?アドバイス!!??

僕の話じゃなくても、くすぐったくなる・・・
苦笑い状態になる・・・


まあ、そういったシステムを作り上げた日本の福祉という、根深い種があるからなのだろう。


















おはようございます、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。 


福祉施設なんかでよく言われたりすること・・・


それは、名前の呼び方。



以前、福祉施設に勤務していた頃、こんなことがあった・・・


僕がいた部門は、障害者(利用者と呼んだりする)を呼ぶ時、○○君やあだ名で呼んでいた。

コミュニケーションもよくとれていたと思う。

それから1年が過ぎた頃だろうか・・・「利用者さんの呼び方は○○さんに統一して下さい」と施設側の指示があった。




おそらく、福祉に関わる人たちは、「そりゃそうだ!」とでも思うんだろう。



でも、僕は「くだらない!」、そう思った。
「だから福祉は福祉なんだよ」、当時の僕はそう思った。

今まで築いてきた信頼関係があるから今更呼び方を変えるなんて出来ないことを伝えたが、却下だった。




もちろん、僕はそれに従うはずもない・・・のだった。



あなたは、どう感じただろう?



また、ジョブコーチをしていた時にはこんな事例を聞いた。

問題行動のあった障害者(対象者なんて呼んだりする)の呼び方を「○○くん」から「○○さん」に
変えてから、改善したと・・・



「ホントかよ!?」「何を根拠に!?」「後付けにすぎないだろ」、当時の僕はそう思った。



前回の話じゃないが、これは特別なのか?差別なのか?

そんなくだらない言葉たちが頭をよぎってしまう・・・



「社会人としての自覚を持たせる」とかなんとか・・・

「あんたらが言う社会人に彼らをしようとすること自体、もう支援じゃないよ!」
そう思った。



「支援てなんだよ!?」そう思った。




型から外れたら型にはめる。

そうじゃあない。

型に合わない形だったり、型に合わない大きさのものがあれば、型を変える。

違うだろうか?



もっといえば、型にはめなきゃいけないという思い込みをとっぱらう必要がある。



何かの規則に則って、真の共感なんて出来ないし、思い込みだらけでマニュアル通りの生き方しか
できない支援者に障害者を導くことなんてできっこない・・・


僕はそう思う。