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福祉に関わる人たちへ

人生はどれだけ多くの気づきを経験したかで、如何様にもなるものです。誰かが言っていますよね。「人は思うようにならないと言うが、そう思っているという意味では、思い通りになっている」と。

おはようございます、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。 



本当に久々にアメブロをさわっている。


まあ最近はめっきり、支援者と呼ばれる人たちに会うこともなく、楽しい日々を送っている。



先入観とか思い込みなんて言葉をこのブログでも使っていたと思うが、
会社も福祉もそういったものの塊だとつくづく感じる。



答えなんて簡単で、自分の身を安全な場所に置き続けたいからにすぎない。



働いている人の使う言葉でよく耳にする「疲れたあ」とか「仕事終わらない~」


あほらしい。




僕は100%そういう人とは深く関わろうとはしない。





だって、「僕は、私は、こんなに頑張ってます!」
それをアピールしてわかってもらいたいだけの戯言だから。

人間性を疑う・・・


「楽しくないの?でもどうして辞めないの?」と思わずにいられない。

そんなの答えは先述した通りだ。




こういった人達は、今の世界に不満を零しながらも今の世界に依存してしか生きられない。



障害者の親も福祉に関わる人間も・・・例外ではないだろう。
もちろん障害者だってそうだ。


もちろん、彼らにもそういった先入観を植えつけられた背景があることは百も承知だ。



こんなことを言った人がいる・・・


「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。
 同じく、満足な愚者で
あるより、不満足なソクラテスである方が良い。」

ジョン・スチュアート・ミル


この言葉の解釈は簡単ではないし、人によっても差があるので一概には言えない。

でも、生きることに鈍感になっている生き物は既存の世界の中でのみ、どうにか生きようとする。
だから、ある程度の物欲や食欲、性欲が満たされれればそれで満足するし、そうやって「長生きしましょう!」とか
「年金はもらえるのか?」とか「日本の政治が変わらないと日本は良くならない」とかくだらないことしか口から出てこない。

一方、真実の「生きる」を模索する生き物(おそらく人間のみ)は、既存の世界の殻を破って、今までの常識なんかには
惑わされず、無駄な情報を排除して、崇高な人間の生き方を追求する。


「感受能力の低いものは、それを十分満足させる機会にもっとも恵まれているが、
豊かな天分をもつ者は、いつも、自分の求めうる幸福が、この世では不完全なもの
でしかないと感じるであろうことはいうまでもない。」 

ジョン・スチュアート・ミル


こういったことを間接的にでも伝え続けるのが支援なんじゃないかと僕は個人的に思わずにいられない。

障害者を障害者で終わらしてはいけないし、支援者や福祉という言葉すらなくなる世界にしたいものだ。


今年ももう終わろうとしている今日この頃・・・
ちょっと真面目になってしまった・・・










こんばんは、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。 



僕の職場に支援者が来ると「まったく問題ないですよ!」と言うことが多い。


「そうですか。良かったです。」


「見ての通り、みんないい雰囲気でやってますよ。」

「本当にいい雰囲気です。本当に良かった。」


こんな具合の会話だ・・・



面白いほど、どの方の支援者が来ても同じことを話してる。



この場合、支援者の立場からして、「なぜうまくいっているのか」。

①障害者を指導してくれる指導者がちゃんとついている
②会社が障害者雇用に力をいれている
③一緒に働く同僚も上司も関係性が良い

なんて、職場に帰ってパソコンに打ち込んでるんだと想像する・・・


間違いじゃない。





でも本当の理由はそんなもんじゃないよ。


そこには、「信頼」が存在しているからだ。





「障害者を指導してます!」「うちの会社は障害者を2%以上雇ってます!」なんて
平気で言える人間がいるなら、信用しないほうがいい。




きっかけは横に置いておくとしても、お互いに受け入れ合いながら働いてることは同じ。

うちなんかは、僕の方がみんなに受け入れてもらって面倒を見てもらってるようなものだ。



そこには、障害者・健常者の境界線なんてありゃしない。
支援者や親が登場しない限りは・・・




何かに手を貸すのは容易なことだ。

そんなことよりも大切なのは、「信頼して、信頼してもらって、任せること」


僕は、そう思ってみんなと一緒に働かせてもらってる。




よく、「障害特性上・・・○○はやらせないでください」「○○障害なので、××については、ご配慮いただきたい」

とまるで教科書でも読み上げてるかのような支援者がいる。


本当に馬鹿らしい。



「あなたは、この人とどれだけの時間、本気で真正面から向かい合ってますか?」

真剣に聞いてみたい!!!




間違っても、「あの方は精神なので支援者があまり入り過ぎない方がいいんです・・・」
なんて、答えはやめてほしい。

そういうことじゃないので・・・



「企業に、障害者の方に働いてもらうために何が大切ですか?」
と聞かれたら・・・



あなたなら、どう答えるだろう?


答えられたとして、本当にこころからそう思っているだろうか?
















こんばんは、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。 


ここ最近、支援者が数人来て、安心して帰っていく。


どう安心なのか、そこまで考えてないだけなのかは知ったことではない・・・



というより、うちの会社の特例子会社事業に興味があるようだった。



「だよねえ!」とこころでまたつぶやく・・・


まあ、そんなもんでしょ。



最近、支援者の否定が多いので、矛先を自分に向けてみよう。




そもそもこういったブログを書いている時点で、すでになんらかのこだわりや、障害者への特別な思い、
福祉への不満、障害者を見下す連中に嫌気がさしているからなのかもしれない。


そこに答えなんてないとわかっているにもかかわらず・・・



そう、所詮、僕自身、自己満足的な要素があるからにすぎない。



「薬なんかに依存するな」「支援者に頼るな」なんて、本人の一面しか知らないのに、
どうして言えるんだ?


はたして、見に来るだけの支援者が間違っているのか?


うちの精神保健福祉手帳を持った僕の職場仲間に、「隔週で支援者と話すんだよね。少しは楽になるの?」
聞いてみた。

「まあ・・・話を聞いてもらったり、アドバイスをもらったりします。」

と本人。正直、僕は良いこととも悪いこととも思わない。


うちではこんなこと言うのはこの方くらいだが、実際に支えてもらっている方だっているのは事実だ。



話は変わるが、最近、「最強のふたり」という映画を観た。
http://saikyo-2.gaga.ne.jp/





「障害者を助けたい」とか「福祉を変えたい」とか・・・

違うだろ。



こんなブログ書きながら、強く感じ取った自分がいた。




支援者のみんなも、「社会が変わらなきゃ!」「この会社は障害者のことわかってない!」とか、
言って、周囲のせいばかりにしているなら、とっとと辞めた方がいい。


「私たちがなすべき仕事は、思いやりの輪を広げ、
生きとし生けるものと美しい自然をまるごと包むことで、
この牢獄(時間と空間)から開放されることであるはずだ」


アルベルト・アインシュタイン





僕らは、何を信じてもいい。

そう、すでに自由なんだ。


今、本気で借り物のカラダにおさらばすることだって可能だし、
明日からも今までどおり愚痴を吐きながら、生きていくことだって可能だ。


まあ、そもそもこんな程度じゃ、また生まれ変わって似たような試練を繰り返すんだろうが・・・



ああ・・・伝えるのは簡単じゃない・・・

ただ、最近支援者にも自分にも思うのは、「本気で生きてんのかよ!?」

てこと。



本気で生きよう。本気で。

何が怖い?何に認められたい?何を守りたい?

どうなりたい?


正直に。本気で。



それしかできないよ。僕ら人間には。