Vol.52 「満足?不満足?」 | 福祉に関わる人たちへ

福祉に関わる人たちへ

人生はどれだけ多くの気づきを経験したかで、如何様にもなるものです。誰かが言っていますよね。「人は思うようにならないと言うが、そう思っているという意味では、思い通りになっている」と。

おはようございます、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。 



本当に久々にアメブロをさわっている。


まあ最近はめっきり、支援者と呼ばれる人たちに会うこともなく、楽しい日々を送っている。



先入観とか思い込みなんて言葉をこのブログでも使っていたと思うが、
会社も福祉もそういったものの塊だとつくづく感じる。



答えなんて簡単で、自分の身を安全な場所に置き続けたいからにすぎない。



働いている人の使う言葉でよく耳にする「疲れたあ」とか「仕事終わらない~」


あほらしい。




僕は100%そういう人とは深く関わろうとはしない。





だって、「僕は、私は、こんなに頑張ってます!」
それをアピールしてわかってもらいたいだけの戯言だから。

人間性を疑う・・・


「楽しくないの?でもどうして辞めないの?」と思わずにいられない。

そんなの答えは先述した通りだ。




こういった人達は、今の世界に不満を零しながらも今の世界に依存してしか生きられない。



障害者の親も福祉に関わる人間も・・・例外ではないだろう。
もちろん障害者だってそうだ。


もちろん、彼らにもそういった先入観を植えつけられた背景があることは百も承知だ。



こんなことを言った人がいる・・・


「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。
 同じく、満足な愚者で
あるより、不満足なソクラテスである方が良い。」

ジョン・スチュアート・ミル


この言葉の解釈は簡単ではないし、人によっても差があるので一概には言えない。

でも、生きることに鈍感になっている生き物は既存の世界の中でのみ、どうにか生きようとする。
だから、ある程度の物欲や食欲、性欲が満たされれればそれで満足するし、そうやって「長生きしましょう!」とか
「年金はもらえるのか?」とか「日本の政治が変わらないと日本は良くならない」とかくだらないことしか口から出てこない。

一方、真実の「生きる」を模索する生き物(おそらく人間のみ)は、既存の世界の殻を破って、今までの常識なんかには
惑わされず、無駄な情報を排除して、崇高な人間の生き方を追求する。


「感受能力の低いものは、それを十分満足させる機会にもっとも恵まれているが、
豊かな天分をもつ者は、いつも、自分の求めうる幸福が、この世では不完全なもの
でしかないと感じるであろうことはいうまでもない。」 

ジョン・スチュアート・ミル


こういったことを間接的にでも伝え続けるのが支援なんじゃないかと僕は個人的に思わずにいられない。

障害者を障害者で終わらしてはいけないし、支援者や福祉という言葉すらなくなる世界にしたいものだ。


今年ももう終わろうとしている今日この頃・・・
ちょっと真面目になってしまった・・・