Vol.53 「依存と愛」 | 福祉に関わる人たちへ

福祉に関わる人たちへ

人生はどれだけ多くの気づきを経験したかで、如何様にもなるものです。誰かが言っていますよね。「人は思うようにならないと言うが、そう思っているという意味では、思い通りになっている」と。

おはようございます、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。 



昨日、久々に職場の仲間(自閉症の方)と帰った。



なぜか???




昨日は、品川駅の人身事故の影響で電車が止まってしまっていたことが大元の理由・・・



本人が少しパニックになりながら店に帰ってきたので、「そっか、じゃあ動くまでここにいよっか!」と声をかけていた。



しばらくすると母親から僕に電話が入った。興奮した様子で・・・



・電車が止まっていることは店を出る前にわかっていたことなのか?
・店においてあげてください

とかいうもの。


そして、電車が動き出した直後また電話が・・・
どうやらニュースでチェックしていたらしく、「もう動いてます!」と教えてくれた。
(僕もこまめにネットでチェックしていたのだが・・)


その次に言った言葉が、

「電車は混んでると思うので、○○さん(僕)が終わるまで待たせてください」
というもの。ひとりでは不安なので、一緒に帰ってもらえますか?ということだ。



そりゃ、一緒に帰ることはいいし、不安かもしれない。




でもそれは愛でもなんでもない、親の自己満足だと思う。

事実、僕は近くにいたけど、なにもしなかった。本人が自分で歩いて電車の乗り継ぎも出来ていた。



人はよく、依存することと愛を錯覚する。


それは、家族やパートナーのためではない。自分のためにすぎない。



自分が不安なだけ、自分がさみしいだけ。自分を慰めているだけだということに気づかないのだ。





人間関係というものに依存する時期があるのはごく自然。

しかし、依存は真実の愛に辿り着く通過点に過ぎない。



福祉の世界では「自立」なんて言葉がけっこう飛び交う・・・

しかし、本当の意味の自立を知る支援者は少ない。



だって、支援者自体が依存を推奨しているのだから。




「私がなんとかしてあげなければこの子は生きていけない・・・」

一人で言ってろ・・・そう思えてならない。



世の中に転がるこういったくだらない感情が、多くの才能の芽を摘んでいることにそろそろ気づかないと。


親なき後が心配で仕方ないなら、生きてるうちに手放して遠くから見守って欲しい。
それが「愛」ってもんじゃないのかと思う。



あなただけじゃないんだから、彼を愛してるのは。