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福祉に関わる人たちへ

人生はどれだけ多くの気づきを経験したかで、如何様にもなるものです。誰かが言っていますよね。「人は思うようにならないと言うが、そう思っているという意味では、思い通りになっている」と。

こんにちは、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。 


僕ら人間ていうのは、ペット好き。


なんでだろう???



小さなころの子供はかわいいのに、大きくなると憎たらしくなる(笑)・・・


なんでだろう???


福祉の世界でも自閉症の方はかわいがられ、発達障害や精神障害と呼ばれる方は、
煙たがられたりする・・・



なんでだろう???





あなたはどう思うだろう?





自分の言いなりにならないからにすぎない。


人間とは愚かで、コントロール欲の塊。



だから、ペットのように自分の言うことを聞かせて、自分に依存させることで
自分自身を満たす。



結局、ここなんだろう、すべて。




支援者は、障害者を救うことで、自分を認めさせたいのです。
依存しているのは、障害者じゃなく自分なのだということを認めないまま・・・



もし、仮にあなたが障害者と関わる人だとしたら、あなたはなぜそこにいるのだろうか?



少し前の僕なら、

「障害者の個性を発揮できる環境さえ作れば、障害者は戦力になるはず!!!」
「障害者と触れ合う場さえあれば、きっと彼らへの見方は変わるはずだ!!!」


なんて言ってたかも・・・・



でも今なら言える。

それが、みんなから自分を認めさせる手段であったのだと。
僕の場合は、親だ。

きっと・・・




10代、20代と発作を繰り返し、外に出るたび、うちの両親は心配していた。

運転なんてして、発作でも起きたら・・・
こんなに遅く帰ってきて・・・
お前にそんなこと出来るか・・・
お兄ちゃんとは違うんだから・・・


そんなふうに。



だから、僕は絶えず反発していた。

「過去のことだろ。今は違う」と・・・



だから、やめろと言われれば、やめてもいいことでも、あえてやった。

「その娘とは別れろ」と言われても、

「だったら縁を切る」とまで言って、泣かせてしまった・・・



そう・・・

「頑張ったねえ」「自慢の息子だよ」「あんたすごいねえ」

そんな言葉を言って欲しいだけだとも気づかずに・・・



ついこの間まで、僕はその「自我」に操られていた。





もしかしたら、同じような思いの人いるんじゃないかな?





でもそれだと、僕ら人間が生まれてきた本当の役目というものは
いつまでたっても果たせない気がする。


過去の自分を慰めることを目的に「今」を生きるのは、そろそろやめよう。






過去も未来もありゃしない、「今」どう生きるかなのだから。













おはようございます、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。 


なんとか続けて書いているこのブログ、気づけば50回を超えていたのですね・・・

まあ、月1投稿というペースに落ちているので、最低でも2回の投稿はしていこうかと思います(目標ですが)。



最近は、景気回復だの日本を取り戻すだの、なんか言ってますが、どうなの?ということについて少々。


ある会社では正社員の数を今の半分にしてパートを9割にするとかいう動きもあるようです。

今ではコンビニや飲食店には外国人労働者がいることはもう当たり前ですよね。


ある会社の役員の方が海外に行って驚いた(危機を感じた)ことは、自分の5分の1の賃金で働く外国人スタッフは、
英語・日本語・インドネシア後を話せて工場のことも理解している30代前半。

気の合う仲間と愚痴やお馬鹿な話ばかりをして、昨日のテレビの話で盛り上がってるお気楽な日本人は
今後どうなるかなんて
子供でも想像できてしまうでしょう。

外国人だけではなく、誰でもできる仕事なんて、もうロボットがやってくれてしまう。これはあのAmazonが
「脱人間」に向けて
動き出した有能ロボットの映像・・・



こんな時代です。


「あなたは、今の仕事がなくなったらどうしますか?」
「もし、明日から来なくていいと言われても、焦ることなく対応できますか?」


今年中には、この問いに即答出来るようにしておく必要があると僕は思う。



「私が・・・俺が・・・いないと会社は回らない・・・」

100%ないですからね。そんなこと。



例えば僕の身近な問題で、「障害者を助けたい!」「障害者のために職場開拓を!」

なんて躍起になる人がいますが、個人的にそんなマインドいらない。


*「障害者のせいにするな。自分が認めて欲しいだけだろ。」そんな感じのニュアンス



無駄に働く人間はもういらない・・・



無駄に働く人間よりは、ロボットや低賃金労働者の方が必要とされる時代なんだと受け入れなくてはならない。




おそらく、今まで僕らが思い込んできた「仕事」という概念を根っこから変える必要があるのだろうと思う。


街中や電車内の会話を聞いてると仕事の愚痴や人の悪口で溢れてる・・・


「なんで辞めないの!?好きなことやんなよ・・」とこころで突っ込む。

そして、その後すぐに自分にも突っ込む。


「あっ、そういうこと話してる自分たちが好きなのか???」と。



映画「レ・・ミゼラブル」で、奴隷的に働かされる場面があるが、けっして過去のことでもない・・・
「会社のために」なんて格好つけてるだけで、今もまったく同じ。


この映画には、「誰かを愛することは、神様のおそばにいること。」

という台詞が出てくる。



僕もそう思う。何度も書いてるかもしれないが、そこに「愛」があるのか。

自分を愛して、そして一人でもいいからこころから人を愛する。


そこには、見栄も世間体もない。そして自我をもコントロールして、客観的に自分を見落とせる時、
すべての景色は変わる。


きっとそうなんだと思う・・・










































おはようございます、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。 



昨日、久々に職場の仲間(自閉症の方)と帰った。



なぜか???




昨日は、品川駅の人身事故の影響で電車が止まってしまっていたことが大元の理由・・・



本人が少しパニックになりながら店に帰ってきたので、「そっか、じゃあ動くまでここにいよっか!」と声をかけていた。



しばらくすると母親から僕に電話が入った。興奮した様子で・・・



・電車が止まっていることは店を出る前にわかっていたことなのか?
・店においてあげてください

とかいうもの。


そして、電車が動き出した直後また電話が・・・
どうやらニュースでチェックしていたらしく、「もう動いてます!」と教えてくれた。
(僕もこまめにネットでチェックしていたのだが・・)


その次に言った言葉が、

「電車は混んでると思うので、○○さん(僕)が終わるまで待たせてください」
というもの。ひとりでは不安なので、一緒に帰ってもらえますか?ということだ。



そりゃ、一緒に帰ることはいいし、不安かもしれない。




でもそれは愛でもなんでもない、親の自己満足だと思う。

事実、僕は近くにいたけど、なにもしなかった。本人が自分で歩いて電車の乗り継ぎも出来ていた。



人はよく、依存することと愛を錯覚する。


それは、家族やパートナーのためではない。自分のためにすぎない。



自分が不安なだけ、自分がさみしいだけ。自分を慰めているだけだということに気づかないのだ。





人間関係というものに依存する時期があるのはごく自然。

しかし、依存は真実の愛に辿り着く通過点に過ぎない。



福祉の世界では「自立」なんて言葉がけっこう飛び交う・・・

しかし、本当の意味の自立を知る支援者は少ない。



だって、支援者自体が依存を推奨しているのだから。




「私がなんとかしてあげなければこの子は生きていけない・・・」

一人で言ってろ・・・そう思えてならない。



世の中に転がるこういったくだらない感情が、多くの才能の芽を摘んでいることにそろそろ気づかないと。


親なき後が心配で仕方ないなら、生きてるうちに手放して遠くから見守って欲しい。
それが「愛」ってもんじゃないのかと思う。



あなただけじゃないんだから、彼を愛してるのは。