働きながら学べることから始まった学園の短大が閉園されるという。

県内にも、高校ばかりでなく、そうした短大がいくつかつくられた。

iいろんな思い出がよみがえり、いろんなかたとのその時々が思い出される。

会社のかたにも、学校のかたがたにも、たいへんお世話になりました。

寮と職場と学校と実におおくのかたがたに支えられての新しい生活です。

 

女子ばかりでなく、男子には、養成工としての高校が自動車会社などにあり、親身になって受け入れていただきました。頼れる熟練工のほかに、看護師、保育士・幼稚園教諭として巣立った若者が多いのです。

 

しかし、中には、残念ながら、お世話になったかたに「怖い子だ。先生も気をつけて。」と言わしめてしまったことがありました。その時のお姿は忘れられません。

本当に申し訳ないと、思い返すたびに、お詫びしています。

 

こんな働き方学び方も消えていくのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嘗ては、地域には、お節介おばさんがいたものです。

わたくしも、母が入院している時には、何度も御世話をいただきました。

国府宮神社の近くに住んでいるときには、何度もお声を掛けていただいて、茶室に招かれ、抹茶の作法を教えられ、お饅頭をいただきました。

 

今は、厄介な家族は、地域から排斥され、当然のように転居を繰り返しています。その子どもは、当然,転校を繰り返すのです。

 

子どもは親を選べないという悲しい現実を何度も味わいました。

 

 

学校から、自閉症の疑いがあるから診察を受けてみてくれと言われた。

断るのにはどうしたらいいのか。人権侵害ではないか。

 

文字がまともに書けなくて✖になる。書けない子どもだから、〇にしてもらうようにしたい。

 

そんな相談があります。子供のためにというのだ。我が家は名門で、そんな家系と言われては困るという本音もつい漏れる。実は、うちの子もといった話を始めても、明らかに病的といった状態に陥らなければ診察を受けさせないというのだ。

 

早く対処したもの勝ちは。あきらかです。子どもが楽になるように考えれば。

 

 

子どもの未来のためにどうあるべきかを基準に

子育てのありかたを考えたいもの。

 

事あるごとに

子どものためになるもものかを確認して子育てを進めたいもの。

 

親のご都合は厳禁です。

 

本音社会か建前社会か議論があった。

ホンネとタテマエという二重の行動基準が

当然のように併存している社会であることをどう捉えていればよいだろうか。

 

ホンネで生きたいという人も多い。それで、果たしてよいものだろうか。

あくまでもタテマエをタテマエとして捉え、タテマエを生きるのもどうだろうか。

 

真実の生き方を求めたいものだ。

 

憲法もあくまでもタテマエと限定して、捉えてよいものだろうか。

講座には様々なものがあって、値段も様々です。

講座だけでは、合格はとても無理だろうというものもあれば、講座だけで合格が可能かなというものもあります。民法の改正で、既に受験経験のある方には戸惑いもあります。

 

試験内容を知り、その対策について、どう考え、どう臨んだかが、合格を左右する決め手ということができます。

講座任せは危険です。

 

宅建の受験の直前、会場近くの喫茶店に立ち寄りました。びっくりしたのは、みなさん手にするのは、「楽々宅建塾」、それも漫画のものです。その後、わたくしの勤めていた資格学校も司法書士の講座に通った学校でのテキストもそれでした。

 

わたくしは、住宅新報社の楽学宅建をテキストとし、同じく住宅新報社のパーフェクト宅建を事典代わりとし、それに過去問集組み合わせて、3か月余の短期戦で臨みました。マンション管理士・管理業務主任者試験も受けて一挙に合格を手中にしようという目論見です。

 

行政書士登録の日、テキスト等を選び、マンション管理士試験は叔父の葬儀の日にあたり受験を逃しましたが、目論見は当たり、合格できました。

 

 

 

 

どんな場でも、「いくらになる」だけが話題になるばかり・・・・・・・・。

只今の金銭的価値だけでもって、物事の価値ととらえるのは、どんなものだろう。

子どもの未来の夢も、そんな価値に支配されていくのだろうか。

 

読書が好きというので、何を読んでいるのかと問うと、答えは漫画集の類。

受験勉強と言えば、塾の合宿参加。

未来の夢はと問うと、儲けられる仕事に就き、楽したいという答え。

 

 

「あれっと思ったら、小児科に」というのは、子育てに大切なことです。

合言葉としたいものです。

 

国公立病院や大学病院、日赤などの小児科がおすすめです。大府市には、あいち小児保健医療総合センターがあります。

呼び出しを受け、駆けつけてみると、自分の息子の愚痴。

最後には、根性を叩き直してくれ。

 

娘が出ていこうとしている。出ていかないように説得してくれ。

 

そんな親御さんは もういない。

親子ばかりでなく、親子を超えた世代、親と孫・曾孫の問題でトラブルになるということがありますが、親子関係以上に問題が複雑になりがちです。

 

家族という繋がりが、損得や自尊心を超えるものではなくなってしまっています。

 

教師として、行政書士として、親族として、その空しい現実を見つめてきました。