Writer:あつヤング(金子敦哉)
2024年2月24日。
全国では数多の受験生が国公立大学一般選抜試験前期日程を翌日に控える一方、熊谷では国公立大学 27校 による駅伝大会が盛り上りをみせていた。
第20回 国公立27大学対校駅伝大会。
2区で先頭に立った信州大学が、最終6区まで後続との差を広げ続け、三連覇を目指していた東京工業大学を抑え、見事優勝を勝ち取った。
我が新潟大学は、全日本大学駅伝メンバー5人、前キャプテンの木原朋哉(2)選手を起用した盤石の布陣で挑んだものの、2年連続の準優勝と涙を呑む結果となった。
今年で20年の歴史を迎える国公立27大学であるが、中継や報道はなく、そのため当ブログでは、今大会の知られざる秘話を紹介していくこととする。
第一章譲れない師弟の約束
競技場に姿を現したアンカーを応援するあつヤング
各校のエースが集い、今年も混戦となった1区。
激闘は一橋大学が制し、2位の信州大学とは13秒の差を付け、先頭で襷を渡した。
新潟大学は、渡邊真大(3)選手から金子敦哉(2)選手へ中継し、先頭からは20秒差の5位でスタート。
中継所 (1区→2区)
この区間(2区)で区間賞を獲得した新潟大学の金子敦哉(2)選手は、特別な想いを胸に力走を見せた。
ウォーミングアップのとき、彼は赤色のウィンドブレーカーを着ていた。
ストレッチをする金子敦哉選手(写真左)
新潟大学では昨年度からウィンドブレーカーのデザインが変更され、この赤のものを持っているのは現3年生世代より上だけであり、本来であれば1, 2年生は新しいデザインのもの(写真右の佐藤勇太選手着用のもの)しか持っていない。
彼が着用していたこの赤のウィンドブレーカーは、彼が最も尊敬している選手のひとりである志賀風太(OB)選手から譲り受けたものであった。
区間賞と約束にウィンドブレーカーを譲り受けただけに、彼は志賀選手のソウルを引き継ぎ、力強く走り出した。
都留文科大学、千葉大学を捉え順位を上げる
ラスト1km地点を過ぎ、先頭争いを繰り広げていた一橋大学と信州大学に新潟大学が迫る。
3校とも先頭は譲らない。
中継所がある競技場が近づくと、勝負は激しさを増す
逃げる信州大。迫る新潟大
区間新記録に4秒まで肉薄した走りを見せた 彼は順位を2位まで押し上げ、同期の中戸元貴(2)選手に中継。
憧れの先輩から引き継いだウィンドブレーカーとソウルで、みごと人生初の区間賞を獲得した。
しかし、ここで先頭を捉えきることができず、チームはこの差に苦しみ、結局 準優勝に泣くこととなった。
区間賞であったものの、与えられた仕事を果たせなかった彼は、この悔しさを胸にこれから更にトレーニングに励むことを決意した。
12月。悲劇が彼を襲った。
足の骨に痛みを感じながらも、練習量を調節しながら上手くトレーニングを積んでいた谷端良鷹(3)選手。
しかし、一向にその痛みが引くことはなく、むしろ悪化しているようにも感じていた。
結果、年明けになりレントゲンを撮ってもらうと、骨折であったことが発覚した。1日30分以上ケアを行っており、あまり怪我をする印象も無かっただけに、チームにとっても衝撃的だった。
足利フラワーパークで苦しむ谷端良鷹選手
チームが充実した冬季練習を積んでいるだけに、怪我での長期離脱は精神的にもキツい。
27大駅伝のメンバーからも外れ、こうなってしまうと普通であれば心までも折れてしまうところである。しかし、既に陸上競技に取り憑かれてしまった彼は、何かしらの方法で練習をしようと、手を抜くことはなかった。
バイクトレーニングで心肺強化を図ったり、他のメンバーが合宿で走り込んでいる中、自宅から往復5km以上のプールまで歩いて通い、ひとりで6000m swimをしたりするなどして、競技にかける時間は妥協せず、淡々と愚直に取り組んだ。
泥臭い取り組みが功を奏し、1月の後半にはラントレーニングを再開した。
しかし、やはり簡単には以前のような満足いく練習ができず、やりたいこととできることのギャップに躓くこともあったに違いない。それでも彼は自身の求める練習内容を追い続けた。
ようやく27大駅伝の4日前に行ったインターバルで高感触を掴むことができ、当日 5区のスタートラインに立った彼は、オープンチームの襷を受け取った。
武藤孝太郎(1)選手から襷を受け取る谷端良鷹(3)選手
序盤は余裕を持ったペースで刻み、イーブンペースでレースを進めた。駅伝であると一般的には序盤速いペースで突っ込んでしまう選手が多い中、彼は冷静に、理想的なペースで走り、順位を押し上げ、前との差を詰め続けた。
区間タイムは15分09秒。なんと対校チームの区間成績内でも区間賞より速いタイムで走破していたのである。
今回はオープンチームでの出走だったこともあり、この記録は区間賞として認められることはないが、同じ区間を走った誰よりも速く、そして復活を遂げたことをここで証明してみせたのだ。
長く苦しんだ離脱からの打破を幻の区間賞でリスタートを飾った彼が、チームの主力として再び活躍する日は、もうそう遠くないであろう。
レース1週間前、チームの雲行きは途端に怪しくなった。
対校チームにエントリーする予定だった6人の選手のうち、3人が足の痛みの状態不良を訴えたのである。
補欠で登録されていた残りの4人も万全な選手は少なく、不出場すら過った瞬間もあった。
そこで急遽、提出するオーダーを組み直し、当日エントリー変更でそのときのチーム状況に上手く対応できるように対策をした。
実は最終6区を走破した髙橋惇央(3)選手も、直前に足の状態不良を抱えてしまい、調整に苦しんだ1人だったのである。
不安を抱えたチーム。しかしネガティブにはならなかった
『まだ1週間残っている。』
優勝を目標として掲げているチームなのだからと、ここで弱気になってはいけない、簡単に諦めてはいけないと、選手同士は励まし合い、かえって士気は高まっていった。
そしてなんとか髙橋惇央(3)選手を含めほとんどの選手は回復し、概ね予定していたオーダーを組むことができた。
一旦崩れかけたからこそ、『簡単に諦めない』というマインドがチームに上手く浸透し、大会を迎えることができたと言えるだろう。
最終6区。
彼が中継所へ入った頃には、既に先頭の信州大学が通過してから1分以上経過していた。
それでも彼は諦めているはずもなく、序盤からハイペースで前を追い続ける。
序盤から先頭とのタイム差を詰める
しかし、好タイムの快走で前を追い続けたものの、既に開いていた大差を詰めることは流石にできず、ゴールを目指していた競技場内に入った。
信州大学の優勝を横目に、それでも意地で走り続ける彼をチームメイトは笑顔で迎え入れていた。
2年連続の準優勝。
優勝を目指していただけに、悔しい結果かもしれない。それでも、1週間前のアクシデントを考慮すれば、十分健闘したのではないだろうか。
もちろん、我々はここで終わるはずもなく、これからも『全日本大学駅伝で北信越枠を増枠すること(17位以内)』を目指し、練習に励む。夢なら簡単に諦めてはいけない。
ここで挫折を味わうこととなったが、髙橋選手の最後まで諦めない力走は、今後のチームが現状を打破してくことに勢いを与えただろう。
対校メンバー, オープンメンバー, 体調不良で走れなかった全ての選手が、この大会を機に新たな1年を再始動していく。
これからも新潟大学の躍進に目が離せない。
最終章エピローグ
新潟に帰還した駅伝レンジャー
というわけで、27大駅伝お疲れ様でした✨
去年も27大駅伝のあとすぐに自分にブログが回ってきて、『もうひとつの27大駅伝』を書いていたので、今年もそれを踏襲して書いたんですが、どうだったでしょうかね笑。
ちゃんと執筆に向き合わず、スキマ時間を活用してちょこちゃこ書き進めるとかいう舐めた姿勢でブログを完成させてしまっただけに、恐らくチグハグな文章ですし、適当なところもあると思いますが、どうか見逃してくださいよ。
それにしても真面目に文章を書くのは自分には向いていません。次はいつも通りのもっとラフな感じで書きたい所存です。
話が逸れてしまいましたが、27大駅伝いかがだったでしょうか。
結局我々は、信州大学の前に一度も立つことが出来ず負けてしまっただけに、2区で自分が先頭に立てなかったことに責任を感じています😭
あそこで先頭に立つことができていれば、プレッシャーのかかり方も変わってきたと思うと、自分が捉えきれなかった4秒がただひたすらに悔しいです。
しかし!
我々の力はこんなものではありません!!
とうとう俺を怒らせたな🏋️
ここまで充実した冬季練習を積めているので、このまま春までもう少し積み続けて、トラックシーズンから反撃を始めたいと思います!!
他大学のファンの皆さま。
トラウマを植え付けてしまうかもしれませんがご了承ください🔥💪
ということで、次のレースも頑張ります!
新潟大学の応援をありがとうございました🙇
最後までご清覧、ありがとうございました✨
夢なら簡単に諦めるなよ
~あつヤング~