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クリスチャンとして死ぬこと

検索できない本当の信仰話をあなたの元に・・・・MAR.2011

ルカ
「19:28 これらのことを話してから、イエスはさらに進んで、エルサレムへと上って行かれた。
19:29 オリーブという山のふもとのベテパゲとベタニアに近づいたとき、イエスはこう言って、二人の弟子を遣わされた。」

 

エルサレムは、ダビデの町であったが、

バビロニアによって破壊され、

エズラ・ネヘミヤによって再建が許されたが、

一世紀にローマによって完全に滅ぼされ、

七世紀にイスラムの支配下に入った。

そんなエルサレムの過去現在未来の姿を知っていたのは、

イエス様のみであった。

 

イエス様が、エルサレムに入るために、

二人の弟子が遣わされた。

この二人のお弟子たち以下お供は、

過越しのための準備でしかなかった。

 

しかし、イエス様の頭にあったのは、

決意と悲しみであった。
 

「19:42 「もし、平和に向かう道を、この日おまえも知っていたら──。しかし今、それはおまえの目から隠されている。
19:43 やがて次のような時代がおまえに来る。敵はおまえに対して塁を築き、包囲し、四方から攻め寄せ、
19:44 そしておまえと、中にいるおまえの子どもたちを地にたたきつける。彼らはおまえの中で、一つの石も、ほかの石の上に積まれたまま残してはおかない。それは、神の訪れの時を、おまえが知らなかったからだ。」

 

神は、このエルサレムを通して、

全世界へと神の救いをもたらされた。

救いを知らなかったエルサレムに対して、

全世界が、その御わざを知ることになった。

神は優れた商人のごとく、

すべての成り行き発展を全てご支配された。

 

マサキチは、ここを読むと、

マサキチ自身の救いは、

このエルサレムの苦しみによっていること、

今、マサキチが、呼吸して、朝を迎え、アルバイトに向かう意志も、

すべては、このエルサレムから始まっていることを

痛感させられる。

当時の人たちの目から隠された、

今日までの救済の歴史、

それは、

神の子らの犠牲によっている。
 

ルカ
「13:34 エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。」

 

キリスト教の救済史は、

このイスラエルの歴史によっていることは確かだ。

 

浮ついた気持など、ふっとんでしまう、神妙な心でしかない。

 

いってきます=