ルカ
「19:28 これらのことを話してから、イエスはさらに進んで、エルサレムへと上って行かれた。
19:29 オリーブという山のふもとのベテパゲとベタニアに近づいたとき、イエスはこう言って、二人の弟子を遣わされた。」
エルサレムは、ダビデの町であったが、
バビロニアによって破壊され、
エズラ・ネヘミヤによって再建が許されたが、
一世紀にローマによって完全に滅ぼされ、
七世紀にイスラムの支配下に入った。
そんなエルサレムの過去現在未来の姿を知っていたのは、
イエス様のみであった。
イエス様が、エルサレムに入るために、
二人の弟子が遣わされた。
この二人のお弟子たち以下お供は、
過越しのための準備でしかなかった。
しかし、イエス様の頭にあったのは、
決意と悲しみであった。
「19:42 「もし、平和に向かう道を、この日おまえも知っていたら──。しかし今、それはおまえの目から隠されている。
19:43 やがて次のような時代がおまえに来る。敵はおまえに対して塁を築き、包囲し、四方から攻め寄せ、
19:44 そしておまえと、中にいるおまえの子どもたちを地にたたきつける。彼らはおまえの中で、一つの石も、ほかの石の上に積まれたまま残してはおかない。それは、神の訪れの時を、おまえが知らなかったからだ。」
神は、このエルサレムを通して、
全世界へと神の救いをもたらされた。
救いを知らなかったエルサレムに対して、
全世界が、その御わざを知ることになった。
神は優れた商人のごとく、
すべての成り行き発展を全てご支配された。
マサキチは、ここを読むと、
マサキチ自身の救いは、
このエルサレムの苦しみによっていること、
今、マサキチが、呼吸して、朝を迎え、アルバイトに向かう意志も、
すべては、このエルサレムから始まっていることを
痛感させられる。
当時の人たちの目から隠された、
今日までの救済の歴史、
それは、
神の子らの犠牲によっている。
ルカ
「13:34 エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。」
キリスト教の救済史は、
このイスラエルの歴史によっていることは確かだ。
浮ついた気持など、ふっとんでしまう、神妙な心でしかない。
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