ロマ
1:13 兄弟たち、知らずにいてほしくはありません。私はほかの異邦人たちの間で得たように、あなたがたの間でもいくらかの実を得ようと、何度もあなたがたのところに行く計画を立てましたが、今に至るまで妨げられてきました。
「実」とな何だろうか。
1:11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでも分け与えて、あなたがたを強くしたいからです。
パウロは11節で、
自分のもっている霊的な賜物を与えることによって、
ローマにる信者たちに対して、力になりたいと言っています。
ですから、この13節にある「実」とは、聖霊による実であることが分かります。
ガラテヤ5:22では、
同じ「霊的な実」のことが書かれています。
ガラ
5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
5:23 柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。
5:24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。
5:25 私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。
ガラテヤ5:22とロマ書1:13の実は、同じギリシャ語(καρπός karpos)です。
このように、
パウロにとっての実とは、
宣教の実としての教勢の成果とよいうよりも、
霊的な実を分与したいという願いがあったこと、
つまり、聖霊の実であったと思われます。
パウロの持っていた聖霊の賜物を少しでも分与したい、
そのために、きちっとしたキリストの福音(実)を伝授することが、
パウロの希望喜びであったはずです。
コリントでは、多くの間違った教えによって混乱していたが、
その混乱教会が聖霊による教会へと整えられていったように、
ローマの教会も最初は、何もしらない混乱した教会であったと想定できます。
そのローマ教会をキリストの教会の保証として、
聖霊によって共に励まされる教会を、
パウロはローマ教会にも求めていたのです。
ローマにはキリストは教えられてはいるが、聖霊の豊かな恵みがまだ伝わっていなく、
聖霊の実を理解する教会へと導くこと、
これがパウロの伝道に対する最大の動機であったと思われます。
ロマ
1:12 というより、あなたがたの間にあって、あなたがたと私の互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。
とは、まさにパウロによって教授された聖霊の喜びが共にあること、
御霊の教会こそが、パウロの最大の励まし喜びであったことでしょう。
この聖霊によって満たされた教会へと造り上げて行く宣教の道こそが、
ローマ果てはイスパニアへの道だったはずです。
13節で「妨げられてきましたと」と言っていますが、
その、霊霊を妨げる悪霊サタンの妨害や人間的弱さは常に、私たちキリスト者には付き物なのです。
当然、パウロの宣教においても常にサタンは世俗的な方法論などで、
そのパウロや教会の霊性を、そして導きを妨げ阻止し続けてきたと言えるのです。
私たちも同様で、このことは、世俗的社会との交わりの中で学ばされている反省点なです。
ですが、キリストの人とは、聖霊によって進む人です。
その道は、常に開かれていて、阻止されようが、決して完全に閉ざされることはなく、再開されると思っています。
常に、サタンの攻撃の後に、開かれるのが聖霊の道なのです。何故なら、キリストの御霊の実が与えられ続く道だからです。
虚しい私達人間が、
何故この世界に存在しているのかを、導いて下さっている道だからです。
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