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クリスチャンとして死ぬこと

検索できない本当の信仰話をあなたの元に・・・・MAR.2011

ルカ
「18:15 さて、イエスに触れていただこうと、人々は幼子たちまで連れて来た。ところが、弟子たちはそれを見て叱った。
18:16 しかし、イエスは幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。
18:17 まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」

 

子供は、何を知らないのか

子供は、何を知っているのか

 

そう考えると、

子供が知らないことは、山ほどあります。

株式や為替など全く知らないでしょうし、

興味もないでしょう。

それに対して、大人は、為替レートが気になります。

お金の動きが気になります。

子供は、

人間が生きて行く上で大切なことは、

何も知らないし、興味もないです。

特に、

お金の価値など全く分からないのが、

子供の特徴です。

経済のことだけじゃなく、

靴だって、まともに履けない、

靴下だって、履けない、

散歩が何故必要なのかも分からず、

散歩に出かけます。

 

それに対して、

子供は、何を知っているのでしょうか。

それは、親の手です。

子供が喜んで散歩することができるのも、

親の手があるからです。

子供は、無意識に手を親の方に差し上げます。

目は、キョロキョロして周りを見て喜ぶが、

その目は決して親を見ることはありません、

しかし、なぜかしら、手だけは、親の方に伸びています。

親は、自分の方に伸びてきた手を見て、

喜んでその手を握り返します。

親は、自分を信頼してくれる子供の心を見て、

慰められるのです。

散歩は、子供たちにとって、

大きな他流試合、

大きなワンコも、ゆるキャラすら、おっかないおばけ。

しかし、親は、自分に

信頼をよせる子供の手を、

心から喜ぶ。


神の国など、分かるわけでもない、

ただ信頼するお方の手を知っている。

子供にとって、神の国は、親の大きな手の存在でしかない。

神様は、その子供の心をもって、

ご自身の慰めとする。

人生は、大きな他流試合だ、

神は、わざと大変なところに、

愛する子らを投げ出すでしょう。

子らの、ご自身に向けられる手を喜ぶためだ。

 

しかし、ペテロは強風を見て怖くなり、

沈みかけてしまった・・・。

しかし、ペテロの不安な手は、

イエス様の方へ差し出され、

イエス様もペテロの手を握りしめた。


いってきます=