ヨシ
「3:9 ヨシュアはイスラエルの子らに言った。「ここに来て、あなたがたの神、【主】のことばを聞きなさい。」
「主のことば」とは、神様が、その時折お命じになったことばと同時に、
神様が今までなさってきた、この民への神様御自身の御業、業績なるものを聞き取る力が求められよう。
今まで、偉大なことを、この不信仰な民に、どれだけなさって来たか、
いや、それ以前のアブラハムと共におられた神様御自身の偉大なる約束と恵みをイスラエルの民は、聞き取らねばならない。
3:10 ヨシュアは言った。「生ける神があなたがたの中にいて、自分たちの前からカナン人、ヒッタイト人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、アモリ人、エブス人を必ず追い払われることを、あなたがたは次のことで知るようになる。
3:11 見よ。全地の主の契約の箱が、あなたがたの先頭に立ってヨルダン川を渡ろうとしている。
3:12 今、部族ごとに一人ずつ、イスラエルの部族から十二人を取りなさい。
3:13 全地の主である【主】の箱を担ぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまるとき、ヨルダン川の水は、川上から流れ下る水がせき止められ、一つの堰となって立ち止まる。」
・・・
3:17 【主】の契約の箱を担ぐ祭司たちは、ヨルダン川の真ん中の乾いたところにしっかりと立ち止まった。イスラエル全体は乾いたところを渡り、ついに民全員がヨルダン川を渡り終えた。」
主のなさることは、
主と共に歩む民にとって、
花のように美しい。
前日見たように、
「抜け目なく主により頼む者」のために、
主は、アブラハムの祝福(約束)を開花される。
その美しい花は、
神様がまずヨルダンを先にわたり、
民が、安心してヨルダンを渡り終えるまで、
ヨルダン川の真ん中で立っていてくださる。
そこに隠された主のヨシュアへの励ましの意味があった。
「強くあれ、雄々しくあれ」
マサキチも、主と共に歩む端くれとして、
ただ、主の御こえ(聖書)に心を注ぎたい。
「抜け目なく」神様と共に歩めたら幸いな一日になることを知っているからだ。
昨夜も微熱が続き、
下痢は収まらず、
すぐ寝た。
今回の病気は、霊性が下がることなく、
むしろ、主への信頼へとつながった感じがする。
導きを感じる。
今まで、愛する姉妹の苦しみを、
もろ真正面から受けてしまい、姉妹以上に苦しみ続けてきたかもしれない。
結果、霊性は下がり続けた。
今もまだ苦しみのシコリは残っているが、
牧師とは、シコリだらけの人生なんだと痛感させられる。
ユダ
「1:20 しかし、愛する者たち。あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい。
1:21 神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。」
いってきます=