この記事は大幅に加筆しました。以下の記事です。

冠詞the再考―体系の一貫性を求めて― | しんじさんの【英文法を科学する】脱ラテン化した本来の英文法はシンプルで美しい! (ameblo.jp)

 

 

マーク・ピーターセンは、その著書『日本人が誤解する英語』2010に次のように記しています。「さて、theとaの基本論理をどう見ればいいのか、考えましょう。まず、「名詞があって、そこにtheを付けるか、aを付けるか、それとも、何も付けないか、文法にのっとって決定する」というような捉え方をやめましょう。それは英語の現実からかけ離れた、無意味なものなのです。

 話すときも、書くときも、先に出てくるのは冠詞のほうで、そして、その冠詞に名詞が付きます。」

 

 ピーターセンは英語のネイティブですが、この記述だけなら、個人的な文法感覚に過ぎません。1人の言ったことを事実とみなすのは、錬金術と同じです。科学的であるためには、観察や実験によって再現性を示す、つまり誰がやっても同じことが再現できるというエビデンスが必要です。

 近年、ネイティブの根底にある幼児期に獲得する文法感覚に関する論文が、数多くでてきています。

 そのうちの1つの論文Alex de Carvalho『Prosody and Functional Words Cue the Acquisition of World Meanings in 18-Month-Old Infants』には、幼児たちがdaxというような無意味語を使って、He is daxing thatという文や、This is a dax.というような文を作ったという複数のエビデンス(Bemal,&Lidz,Millotte,&Christophe,2007;Waxman,)があることを記しています。

 また、同論文には、月齢12から24か月の幼児たちが、blickという無意味語を使ってthe blickとI blick というような表現を使ったという複数のエビデンス(Cauvet et. Al.,2014,He&lidz,2017;Shi&Melancon2010)を報告しています。

 

 幼児がa daxやthe blickという表現を使うというエビデンスは、ネイティブは、a、theという機能語を先行させて、そのあとに内容語を付けるという文法感覚を、幼少期に身に着けることを示しています。

 この例で重要な点は、幼児たちが使ったdaxやblickは無意味語なので、品詞という文法性がないということです。ピーターセンが主張するように、ネイティブは「まず名詞があって、そこにtheを付けるか、aを付けるか、それとも、何も付けないか、文法にのっとって決定する」のではない、という感覚を身に着けていることを裏付けていることになります。

 英語のネイティブの根底には、機能語が内容語の文法性を決めるという文法感覚があると考えられます。

 

 また、幼児が、dax、blickといった無意味語を使ってHe is daxing thatという文や、I blick という文を生成したというエビデンスから、進行形と単純形を「状態動詞」をかどうかで使い分けてなどいないことが分かります。そもそも無意味語には文法性がないのだから、動詞という品詞は意識の外です。名詞や動詞といった品詞に応じて機能語を選ぶというより、機能語によって内容語の品詞を示すと考える方が自然です。

 

 文法標識である機能語を先行させて、その後に文法性を持たない無標の内容語(エビデンスでは無意味語)を付けるという文法感覚は英語の文法的特徴そのまま表しています。

 現代英語は、かつてあった屈折を失い、機能語と無標の内容語に機能分化した孤立言語です。機能語とは、他の語に文法性を与える標識で、決定詞、助動詞、前置詞(例a、the、you、my、any、be、do、have、may、in、when、because等)などを指します。無標の内容語とは、文法性を失った意味内容を表す語で、名詞、動詞、形容詞などです。

 ラテン語の主要品詞である名詞、動詞、形容詞は、単語自体が屈折するので、内容語に文法性が備わっています。文脈に無い単語を「状態動詞」だとか「可算名詞」だとか分類するのは、単語にあらかじめに品詞という文法性が備わっているラテン語文法の発想です。

 現代英語の多くは単語は、屈折という文法性を示す標識を失い、品詞が示せなくなったと考えられます。屈折に代わって単語の文法性を示す標識として機能語が発達したとらえるのが自然でしょう。

 

 英語の単語の大半は、文法性が失われた無標の内容語なので、文脈の中で使われるときに、機能語によって事後的に文法性が与えられます。品詞さえ決まっていないのだから、単語を事前に、「状態動詞」とか「可算名詞」に分類すること自体に無理があります。

 ただし、無標と言っても、語には使われてきた歴史があり、それがコアとして残っています。だから、結果として、常に可算名詞扱いされる、または不可算名詞扱いされる語はあります。一方で、英語には可算、不可算のどちらにも扱われる語も数多くあります。その使い分けの基準を、名詞の分類に求めることは不可能です。

 結局、一貫した原理で説明するには、ネイティブがとらえる機能語のコアを探り、文脈に応じて個々の内容語に適用することを示す必要があります。

 

 内容語を可算、不可算と分けることの是非を用例から検証してみます。次の問題はTOEICの受験者を対象として出題されたものです。文末の付したのは正答率です。

 

問題1)My salad has (apple / an apple / the apple) in it.

                      (24%)

                                                                

問題2)You've got (banana / a banana / the banana)on     your chin.              (29%)  

                           

                                      高坂京子『冠詞が映し出す英語の世界』2013

 

            「私のサラダにはリンゴが入ります。」

 

            「あごにバナナが付いていますよ。」

 

 幼児でも知っている果物でさえ、正しく冠詞が使えていないことに疑問を持ち、手元にある辞書『ウィズダム英和辞典』2003で引いてみました。共通してappleもbananaも、Cつまり可算名詞としか載っていません。

 他の果物pear、peach、grape、mangoなどはCとしてあります。peachは桃色という意味、grapeはワインという意味の時はUつまり不可算となっていますが。果物のときに不可算で使う用法は載っていません。

 これで、正答率が低いことが納得できました。形のないものは無標である、という英語話者がもつ当たり前の感覚が抜け落ちているのです。

 問題の答えは、問題1がapple、問題2がbananaです。この記事で取り上げた以下の内容がそのまま解説になっています。

 

 今回は、例をあげて、決定詞aのコアを探りましょう。下の対比から、aを使った表現と、使わない表現の違いを考えてみます。

chicken / a chicken    鶏肉 / 鶏 

melon / a melon     メロンの果肉 / 1個のメロン 

egg / an egg       割れた卵 / 殻に入った卵、目玉焼き

coffee / a coffee    コーヒー / 規格化された1杯のコーヒー

room / a room  余地 / 部屋

 

 まず、aが付かない、chicken、egg、melon、coffee、roomは、どれも決まった形あるいは境界がはっきりしないなど、抽象的なイメージがあります。これに対して、決定詞aを使った表現では、外形あるいは境界があり、具象的なイメージになります。

 そうすると、決定詞aの文法的な働きのコアは、抽象的な概念の内容語に、外形あるいは境界を与えて、具象的なイメージに変えて可算名詞化する、といったところにありそうです。

 文脈の中で使われる用例をいくつか挙げて、確認しておきましょう。

用例1) It has to be someone small. There's not much

    room inside.

     『Peppa And The Playgroup Visit The Science Museum』

      「小さい子じゃなければいけないの。中はあまり広くないんだ。」

 

用例2)Do you have a room? 「部屋はありますか?」

                   『Goblin Ep.16』

 

 用例1では、roomはaが使われていません。だから、外形やはっきりした境界がない抽象的な、空間とか空きスペースといった意味で使っています。

 これに対して、用例2のa roomは、決定詞aがroomという内容語に先行することで、はっきりした境界がある1つの部屋というイメージに変え、空き部屋という意味になります。

         

用例3)They couldn't let Bobby Kennedy become  

    president Untied States.

  「かれらはボビー・ケネディーを合衆国大統領にすることがゆるせなかった。」

用例4)The assassination of a president at the time 

    was not a federal crime. It was a local crime. 「その時点では、大統領の暗殺は連邦犯罪ではなかった。それは地方犯罪だった。」

    『Mysterious Death of Reporter Dorothy Kilgallen & the JFK     assassination』

 

 用例3では、presidentにはaが付いていないので、抽象的な概念である役職名としての大統領を意味していると解釈できます。

 用例4では、a presidentと表現しているので、姿かたちのある人としての大統領を意味していると解釈できます。役職は抽象的な概念なので暗殺できませんが、人は暗殺の対象になります。それぞれ文脈にふさわしい表現を選択して使っています。

 その時点というのは、1963年にケネディ大統領が暗殺されたときのことです。連邦犯罪になったのは、この事件を受けて改正された、2年後の1965年です。

 

 ここで、名詞に対する見方の根本をおさえておきます。それは、一般名とは、本来抽象的なものであるということです。

 日本語の「犬」という言葉を例に考えます。飼っている犬には、ふつう、ポチとかペロとかジュウベイといった固有名を付けます。固有名は、特殊で具象的です。これに対して、一般名の「犬」は抽象的な概念です。数えるときには、1匹の犬、2匹の犬というように補助単位を使います。このことは、英語のa piece of paperなどと同じく、「犬」自体は不可算であることを示しています。

 固有名が具象的で、一般名は抽象的な概念であるという性質は、言語には一般的なことなのですが、よく見逃されているように思います。

 

 この性質は英語にもあてはまり、一般名のdogは抽象的な概念なのです。だから、aを付けないと、形のない抽象的なものをイメージし、chickenと同じく犬の肉というような意味になってしまいます。不可算のdogが辞書に無いのは、かつての中国のような、食する習慣がないからでしょう。文法の問題ではなく、文化の問題です。

 ある1匹の犬を気に入ったのならI like a dog.と表現し、犬という形のある動物が好きなのならI like dogs.と表現しましょう。間違ってdogなんていうと、気味悪がられる可能性があるので、止めましょう。

仮に、もともと英語の一般名が可算であるということがコードされているなら、aは不要のはずです。だから、自然言語としての英語の一般名も 日本語と同じく抽象的な概念です。英語のネイティブは、可算名詞だからa付けるのではなく、付けないと抽象的なものをイメージするのです。

 

 英語が、他の言語と異なるところは、一般名の性質ではなく、決定詞aという文法標識をもっていることです。ラテン語は機能語が発達していないので、規範文法では、aという機能語の原理がとらえられないのではないかと思います。それで、冠詞の文法機能の説明をせずに、「可算名詞」だとか「物質名詞」だとか、名詞という品詞の分類を始めてしまったというのが実態に近いでしょう。

 

 例えば、辞書に次のような記述があります。抜粋して引用します。

  chairman 名詞 C(議会・委員会などの)議長、委員長

  He was elected chairman of the committee.

             『ウ ィズダム英和辞典』2003

     「彼は、委員会の議長に選出された。」

 

 この辞書にある記号は、countable可算名詞であることを示しています。ところが、例文にあるchairmanにはaや他の決定詞はついていないし、複数形でもありません。先ほど用例で上げたpresidentもCとなっています。つまり、「可算名詞」は、aを使うかどうかの基準にはなっていないのです。ネイティブのピーターセンが、規範文法の規則を「英語の現実からかけ離れた、無意味なもの」と感じるのは、そういうことでしょう。

 

 脱ラテン化した英文法では、現代英語の文法的特徴である機能語の働きに注目します。内容語の分類ではなく、機能語のコアをもとに一貫した文法説明をすることを第一に考えます。内容語は、基本的に文法性を持たないので、chairmanのように無標の内容語は、一般的には抽象的な概念です。だから、aや複数などではない不可算の役職名を表すと解釈することになるのです。

 

 とても小さい機能語aは、抽象的な概念に外形を与え可算名詞化するという極めて強力な文法装置です。それは、a goとかa grown-upだとかの表現があるように、本来動作を表すような内容語さえ、可算名詞に変えるほどの性能を有しています。ネイティブの幼児が、この性能に気づき、いち早く身に着けるのは、もっともなことだといえるでしょう。

 

 次回以降、決定詞について掘り下げていく予定にしています。