冠詞についての論文(宮地2004)には次のような記述があります。
「従来の文法による、一般の英語学習者に対する冠詞の解説は、事例の解説が主であり、冠詞の機能についての解説は少なかった。また冠詞使用の決定プロセスの解説が必ずしも明確に示されてはいなかった。…
定冠詞the は、指示形容詞 that から転じたもので、どの種類の名詞の前にも、単数複数いずれにも用いられ、通例は限定の意味があると解説されている。」
宮地 利彦『英語における冠詞の機能の考察』2004
現行文法が、冠詞の機能についての解説が少なく、名詞の分類にほとんどを割くのには理由があります。学校文法が理想とするラテン語は文法化が進んでいない屈折言語なので、冠詞のような機能語が発達しなかったのです。だから、「限定の意味がある」という程度のことしか言っていないです。
19世紀の英文法教科書の記述を引用します。
Some nouns are the name of particular object: thus, earth, sun, moon. Such nouns represent only one object, which is solitary representative of what might become, or be represented, as a class:
John Seath『The high school English grammar』1899(167頁)
(名詞の中には特定の物体の名前がある。例えば、earth、sun、moon。こうした名詞は唯一つの物体を表し、それがある種のクラスとして成り立つかもしれない)
この教科書の各単元に主要な品詞が挙げてありますが、その中に冠詞の単元はありません。引用した冠詞に関する記述は、名詞の単元に載っています。つまり、当時、冠詞は文字通り冠(かんむり)として名詞に付ける飾り物扱いで、その機能の説明は一切ありません。
今日の英文法書に見られるearth, sun, moonなどは「唯一のものだからtheが付く」という説明は、昔からの名残なのです。PEUの記述を引用します。
The listener may know which one we mean because there is no choice ― there is only one(e.g. the sun, the moon, the earth, the world, the universe, the future) or there is only one in our part of the world (e.g. the government).
『 Practical English Usage 4th Ed』2016
(聞き手は私たちがどれを指しているのかを分かるは選択肢が他にないからだ。ただ一つだけ存在する(例: the sun, the moon, the earth, the world, the universe, the future)、または限られた範囲の中で1つだけ存在する(例: the government))
今では「聞き手が了解しているもので唯一だから」という説明になっていますが、基本的にはたいして変わりません。
参考書『一億人の英文法』では「earth(地球)、sun(太陽)、moon(月)、world(世界)などにはtheが付きます。常識的に1つにきまるから」とあります。つまり100年以上前からの説明は現代にも受け継がれているのです。
では、この説明の妥当性を探っていきます。
太陽系の唯一の天体としての地球はEarthと通例は無冠詞です。the earthとするのは、むしろ(母なる)大地を意味するような場合です。世の中で唯一と信じられている創造主はGodと無冠詞です。一方多神教の神はthe God of ~のように表記されます。
唯一のものというのはtheが付く条件になっていないのは明らかです。冠詞theの機能を「聞き手が了解して特定できる」としている限り、唯一の天体Earthや唯一神Godや固有名詞の多くにtheを使わない理由の説明にはなりません。
このように、文法説明には、個々の解説には妥当に見えても、他の現象と比較すると、明らかに矛盾していることがあります。現行英文法は、網羅的ではあっても、体系的とはいい難いことが多々あるのです。
体系的とは、一貫した原理で多くの複数の現象全体を説明するものです。個々の事項のバラバラの説明の寄せ集めは網羅的ではあっても体系的とは言えません。
体系性がなく、ただ網羅しているだけの説明が抱える矛盾について、実例を見てみましょう。一般的にみられる現在形と進行形に関する説明について見てみます。
次のような説明を見たことがある人は多いのではないかと思います。
説明①現在形は過去・現在・未来という幅のある時間を表し、進行形は一時的なこと
を表す
説明②状態動詞は進行形にはできない
では、ここで考えてみましょう。この説明に従って、seeという語を使い「これ見える?」とか「これ見えてる?」とか、一時的に今見えているかどうか聞きたいときにはどう表現すればいいでしょう?
論理的に考えて整理すれば次のようになるでしょう。
説明①に従うならseeは幅のある時間を表すことになるので、一時的なことを表すには、Are you seeing this?と表現することになります。ところがこれは説明②に反することになります。
説明②に従えば、seeは単純現在形でしか使えないので、Do you see this?を一時的なことを表す表現として使うことになります。ところがこれは説明①の単純現在形は幅のある時間を表すに反します。
結局、①、②の両方に従えば、「これ見える?」とか「これ見えてる?」という意味にseeを使うことが不可能ということになってしまいます。
このように、①と②は個々の説明だけ見るともっともらしく見えますが、この2つ同時に満たすと、すべての状態動詞は一時的な状態が表せないことになります。
説明①は現在形が表すものの一部でしかなく、説明②は実際には20世紀の規範的規則です。どちらも生きた英語の使い方を考慮したものではないのです。しかも体系として見てないので、学習者が表現できずに困っていてもその代替案が示されません。
ここで代替表現を考えてみましょう。ニュアンスを無視して法助動詞を使って、Can you see this?とすることは可能でしょう。①、②に従うなら、英語話者が表現するのはこの表現になります。
しかし、語学習得で大切なのは、実際に使われる言葉です。次のグラフで確認しましょう。
実態としては、20世紀にはseeの進行形は表立っては現れていません。これは②はもともと規範的規則で言葉簿乱れとして禁止していたからでしょう。しかし、今世紀に入り状態動詞進行形は容認されるように転じて使用率が上がっています。
規則②で進行形の使用が禁止されていた20世紀は単純形がseeの一時性を表す表現として使われていたことが分かります。
現在形は幅のある時間も一時的な時間もどちらにも使うのです。
“Tastes good. I like it. ”(おいしい。これ好き)のように単純現在形は一時的なことにふつうに使います。②を守れば、①に反して単純形を一時的なことに使うのは自然なことでしょう。
seeの使用実態についてChatGPTに「"Can you see this?"と“Do you see this?”とAre you seeing this?は同じような場面で使いますか?」と質問してみました。
ChatGPT:はい、それらの表現は基本的に同じような意味で似たような場面で使われますが、微妙なニュアンスの違いがあります。
"Can you see this?"(これ見える?): これは、相手に対して何かを見ることができるかどうか尋ねる表現です。相手の視力や視覚的な能力に焦点を当てています。
"Do you see this?"(これ見てる?): こちらも相手に何かを見ているかどうか尋ねる表現ですが、状況が進行中のものを指していることが多いです。つまり、現在起こっていることや見えているものに関する確認をする場面で使われます。
"Are you seeing this?"(これを見ていますか?):この表現は、特定の状況や出来事に対して相手が注目しているか、それを確認しているかどうかを尋ねる際に使われます。何か驚くべきことや重要な出来事が起きている際に使われることが多いです。
ChatGPTは英文法に関して、怪しいことを言ってくることはありますが、この件については、既存の参考書よりも現実的です。こちらが体系的な見方を示せば的確に答えています。seeの単純現在形が進行中のことを表すことも、進行形で使うことも説明しています。
実際に使われる英語でも、seeは文脈に合わせて使いわけます。アニメでの使用例を紹介します。
1) I never thought I'd be seeing it this close.
――The Berenstain Bears
(こんなに近くで見れるなんて思ってもなかったよ)
「(普段みれないような光景が)今見えている」と言いたいときには seeを進行形で使います。
状態動詞とされる語は他にも、wear、taste、love、like、hearなど数多くあります。これらの語も説明①、②に合わせて使おうとするとseeと同じ矛盾を抱えることになります。もちろん使用実態とは整合しません。
個々の文法事項の説明なんて、自説に都合のいい用例だけ集めて、何とでも言えるのです。しかし、それらが体系として一貫した原理に基づいていないと、実践では使い物にならないことにもなるということです。
では本題の冠詞theの文法説明を検討します。
改めて問題点を確認しておくと「聞き手が了解して特定できる」だけでは、the earth、Earth、Godなど「世の中の唯一のもの」にtheを使ったり無冠詞であったりする現象が説明できません。
こういった矛盾を解き明かすことは、theを使う原理を探る手掛かりになるはずです。焦点は[the+唯一のもの]と[φ+唯一のもの](φは冠詞無しの意味)の違いを明確にすることです。このとき、冠詞theの機能を「聞き手が了解して特定できる」だけでは説明が付かないので、他に条件を探します。
多神教の神は[the God (of ~)]で唯一の創造主は[φ+God]と無冠詞です。多神教の神の方は他に(of ~)という選択肢があり、その中から一柱に特定しています。もともと唯一で選択肢の無いときは無冠詞[φ+God]です。このことから、冠詞theを使う前提条件として複数の選択肢が想定されていることが考えられます。
このような事例は、他にも観察できます。次の2例で比較します。
2)(There are two Browns. )
“Please allow the Brown here to enter first.”
(ブラウンさんが二人いる)
(こちらのブラウンさんからお先にお入りください)
3) "Is there anyone suitable for this matter?"
“There's Brown.”
(誰か適任者はいるかな?)
(ブラウンがいるじゃないか)
用例2は、ブラウンさんが2人いる場合です。選択肢が想定され、その中の一人の方のブラウンさんに特定したときにtheを使っています。
用例3は、会社内にブラウンさんが一人しかいない場合です。このとき初めから一人しかいないのでφ(無冠詞)です。
このように検討していくと、冠詞theは単に特定できるというだけではなく、前提として複数の選択肢があるという条件があると考えられます。
論文(宮地2004)には、「従来の文法による、一般の英語学習者に対する冠詞の解説は、事例の解説が主であり、冠詞の機能についての解説は少なかった。また冠詞使用の決定プロセスの解説が必ずしも明確に示されてはいなかった。」と記してあります。
この論文では、決定プロセスを認知言語学の観点で説明していますが、実用にするには複雑すぎると思います。ほかにも冠詞の使用をフローチャートで示すなどの手法もありますが、英語もネイティブはもっと直感的に捉えているはずです。
宮地論文で取り上げている14の事例のうちいくつかを選んで解説します。決定のプロセスはここで検討した「複数の選択肢」を想定したシンプルなモデルを基にしていきます。
事例1)まえに1度出た名詞を2度3度と使うとき。
I saw a boy and a girl on my way home. The boy had a book and the girl a doll.
事例2)前後の関係で名詞のさすものの意味が限定されるとき
He went to his room and shut the window(=the window of his room).
事例3)初めて出た名詞でも、そのさすものが聞き手にわかっているとき。
Please pass me the salt.
Someone is at the door.
the doctor(かかりつけの医者)
宮地 利彦『英語における冠詞の機能の考察』2004
事例1では、a boy、a girlはそれぞれ、複数いる少年boysのうちの不特定の一人、複数いる少女girlsのうちの不特定の一人を表します。その後the boy、the girlは前提として複数いる選択肢から特定したことになります。
事例2、3は分けられてはいますが、一般的なものは基本的に世の中にありふれています。だから選択肢はもともとあるわけです。そこに当然あるものは特定のものなのでtheを使い、普段はそこにはないようなものがあれば、冠詞aやφを使って表現することになります。これは慣用的に決まります。
φ windowは抽象的な窓になってしまうのでa / the windowのどちらかです。その部屋にあるものだからthe windowになります。
塩は決まった形状がない物質なのでφ/ the saltのどちらかで、普段あるものだからthe salt。
医者はa / the doctorのどちらかで、かかりつけ医なのでthe doctorになります。
事例5)単数普通名詞でその種族全体にわたる一般的叙述をするとき。(多くはもの
の説明や定義を下すときに用いる)
The dog is a faithful animal. (犬は忠実な動物だ)
一般の参考書では、総称のtheなどと呼ばれ、「~という動物は」というような意味です。
この事例5のthe dogは他の種の動物が選択肢となると考えます。catやmonkeyなど他と区別して「他でもない」「他と違って」犬という動物は、という意識で使っていると考えます。このようなtheは、動物図鑑や動物園のパンフレットなどでよく使われます。他の動物が意識されるという文脈で使うのです。
このとき、多くの犬の特定の1匹もthe dogと形態上は同じです。その違いは前提となる選択肢の違いと考えます。その違いを模式的に示します。
[dogs]→(a dog)→the dog (他の犬とは違う)特定の一匹の犬
[cat / monkey / dog /……]→the dog (他の動物とは違う)犬という動物
この模式図では、[ ]内に選択肢として想定される複数のものを示しています。→が指すのが選択された結果の表現です。
事例6)複数普通名詞で総括的意味を表すとき。
the teachers (=all of the teachers) of the school
the senses (=the five senses)
学校[stud ents / teachers / stuff / …]→the teachers 先生全員
人体の機能[Respiration(呼吸) / Circulation (循環) / Digestion(消化) /
Movement (運動) / Senses(五感) /Immune (免疫) / …]→ the senses
この模式が示すように、ある集まりやカテゴリーからあてはまるものを残らず取り出すと全部を意味することになります。これは複数あるものから取り出すとき、the othersが残り全部を意味するのと同じです。
事例12)形容詞の名詞的用法
the rich, the poor, the beautiful
人々[rich / poor / young / old / beautiful / …]→the rich, the poor,
the beautiful
これも模式から、いろいろ人々から選んで「他でもない」~な人々を表すという感覚で使うと考えられます。「お金持ちというのは」というような意味になります。動物の総称と変わりません。
内容語の品詞は違うと見ることはできますが、theの機能で見れば同じ用法です。イェスペルセンは形容詞と名詞はしばしば区別し難いことがあるとして1つの品詞にすること提案しています。the givenのような表現ではgivenを名詞としているのですから、内容語の品詞分類は厳密なものではありません。
以上のいくつかの事例についての解説をしてみました。この中でポイントとなる点をいくつかまとめておきます。
まず、冠詞theの機能は「特定する」だけではなく、前提として複数ある選択肢を想定してそこから選び出すというプロセスから、多くの用法に使うことが感覚としてつかむことができます。
次に、theは慣用で使い方が決まっていることが多くほぼ義務的になります。このとき、前提になる選択肢を想定すると、いろいろな表現に応用が広がると思います。
あと1点、慣用として義務的に使うtheだけではなく、他のとの対比や特別感を出すために選択的に使うtheもあります。
先にもともと1つしかない固有名にはtheは不要だと説明しました。前提条件によってtheを使うこともあります。下の例はアニメのリトルマーメードのエンディングに出てくる表現です。
Maidenは固有名で登場人物では一人しかいません。他に同じ名前の人はいないの話の中では基本的に無冠詞です。
7)Oh, Maiden, what have you found?”called one girl.
『The little Mermaid』Little Fox
エンディングにあるThe Maidenは、この単独のイラストだけでは分かりませんが、物語の主要キャストを紹介していく中の一人として出てきます。
順にThe Little Mermaid / The Prince / The Sea Witch / The Maiden / ……として紹介される中で出てきます。複数の主要キャストの中から選んで、他とは違うtheという特別感を出していると考えられます。もともと唯一の固有名であっても、このように別々の固有名中で「他と違って」という特別感を出したいときにはtheを使います。「唯一だからtheが付くとか付かないとか」と言った硬直化した規則ではなく、このように状況を設定して任意に使うこともできます。
もう1例、ほかの冠詞に関する論文の記述を引用します。
「アメリカ人は同国人に対しては定冠詞なしのAmericansを使い,決してthe Americansとは言わない」とピーターセン('90)はいう。それに対して,彼らはthe Japaneseという表現をよく使っているという。この無意識の扱いの違いについては,ピーターセンが詳しく述べているが,その違いを生み出しているのは……」
河本誠『英語の冠詞に関する一考察』1998
この……は自分で考えてみるのが面白いのではないかと思います。この義務的ではなく任意で使うtheについて、一般論として解説しておきます。
特にあるカテゴリーの中にあるものから取り出すという状況設定をするとき、慣用的に使うtheと任意で使うtheの違いを他の表現から考えます。
1つは同じ機能語のwillの使用例です。
4)I'll get it.
5) I will always love you.
同じ意思を表す場合でも、その「想い」の強さは全く違います。用例4は義務的に使うwillです。用例5は任意でwillを選択して使っています。
同様に、theを使う表現でも慣用になっている義務的なtheには特に想いはこもっていません。その場面に出てくる事例1の the window.では、ふつうはwindowに特に思い入れがあるとは言えません。
しかし、任意で使うtheは、カテゴリーから選び出す過程で「他とは違って」「他でもない」という対比の意識や特別感を出すことがあります。
また、単純現在形と進行形の違いにも、想いの違いが現れることがあります。
6)Our teacher, Ms. Frizzle, is always surprising us.
――The Magic School Bus
(僕たちの先生、Frizzleさんって言うんだけど、いつも驚くことばかりするんだ)
同じいつものことでも、単純現在形は単なる日常の習慣を表し、現在進行形にすると常習的に何かするという意味になることがあります。「あの人ったらもういっつも~」というような感じです。
冠詞theは使用率が最も高い語ですから、事例には事欠きません。一貫した原理でとらえて、多くの事例から感覚をつかむのがいいと思います。
生きた英語の法則には唯一の正解はありません。英語話者も幼児期に接した多くの用例を分析して文法を身に着けます。その感じ方は一様ではないので世代を経るに従い社会的なコードである文法の変化します。theを複数の選択肢から取り出すというアイデアは、感覚的に分かりやすいのではないかと思います。
既存の学習文法は、もともと規範的規則を集めたものなので、事例を用法分類して個々に別々の説明をすることが多いのです。感網羅的ではあっても、体系的とはいいがたいです。
だから、個々の文法説明ではよさそうに見えても、複数の説明と合わせるとつじつまが合わないことがあります。疑問に感じたら、それがスッキリする原理を求めて、多くの事例にあたります。それがすぐに見つからなくても、ある日これだと思うような事例にあたることがあります。それ自体が学習のモチベーションになります。
文法を学ぶ上で大切にしているのは、実際に使われている表現を、自分の目で見、耳にしたときの感覚です。新たに出会った表現がたとえ非文法的でも、一定の英語のネイティブスピーカーが使っているのなら言語事実としては認めることにしています。自分が使うかどうかは別としてですが。
そうして、新たな表現を取り込んで、自分の文法を育てていくのは面白いものです。いつの時代も人の創造力と想像力で言葉は変化し、新たな表現は尽きることなく出てきます。わくわくしながら新たな表現に出会うための学習文法。そんなものがあってもいいかも、と思ったりしています。