力を奪うパートナーシップと、力を与えるパートナーシップ | 淡路島のカメラマン・清水翔平

淡路島のカメラマン・清水翔平

淡路島を拠点に活動するカメラマン・清水翔平のありのままの日常を綴ったブログです。

今日は

「力を奪うパートナーシップと、力を与えるパートナーシップ」

というテーマでお届けします。

 

 

僕は今、

マイナス感情を感じてしまうことが一つあります。

 

 

それは、

離婚した前の奥さんとの子供たちと

会うことへの罪悪感です。

 

 

「子供たちに会いたい」

という気持ちを持つことについて

 

パートナーのめぐに対して

罪悪感を感じてしまうのです。

 

 

僕が子供たちを大切にすると、

パートナーを傷つけてしまうのではないか?

という恐れの感覚があります。

 

 

 

エゴは所有したがる

という性質があります。

 

「自分のもの」

という意識です。

 

 

この「所有」の意識は

嫉妬心とも結びついています。

 

 

 

僕がパートナーシップにおいて

嫉妬心を感じる時は

 

「パートナーは自分だけのもの」

という意識が入っているのを感じます。

 

 

 

今日のめぐのブログを読んでいたら、

「僕が子供たちに会いに行くことを

快く送り出せない」

という心境を書いてくれていました。

 

こちらのブログ

↓↓

 

 

 

パートナーシップが写し鏡であるなら、

 

 

「独り占めにしたい」

「所有しておきたい」

 

 

というエゴは、

多分僕とめぐのどちらの中にも

同じだけ存在しているのかもしれません。

 

 

 

けれど僕がめぐに対して

尊敬を覚えるのは、

 

僕との間に起こるマイナス感情を、

彼女は自分の世界の出来事として捉えているということです。

 

 

同じ出来事を通して

 

 

めぐはめぐの世界の中で

彼女のマイナス感情を経験し、

 

僕は僕の世界の中で

違うマイナス感情を経験しているのです。

 

 

 

パートナーシップが

うまくいかないときは、

 

この

 

「相手の世界で起きていること」

「自分の世界で起きていること」

 

混同してしまうんだと思います。

 

 

逆に言えば、

そこに境界線を引けている限りは、

どんな問題が起こっても対処可能なんだと思います。

 

 

 

以前の僕は、

パートナーシップにおいて

 

自分が境界線を越えてしまうことも多かったし、

パートナーから境界線を越えられるということも

非常に多くありました。

 

 

 

境界線を越えられるというのは、

メリットもあるんですよね。

 

それは、

自分の世界に起こることの一部の責任を

相手が取ってくれるということです。

 

 

 

逆に自分が相手の境界線を

越えることのメリットは分かりやすく、

 

自分が相手をコントロールしたい

物事をうまくいかせたい

 

というエゴを満たせるということがあると思います。

 

 

 

前者は自分の力を、

後者は相手の力を、

それぞれ弱める方向に働きます。

  

 

僕は拗れていた離婚問題に取り組む中で、

 

自分が知らず知らずのうちに相手から得ていたメリットを

手放すことから始めました。 

 

 

そうすると、

 

「自分の境界線の範囲内については、

100%自分で責任を持つ」

 

という覚悟ができるんですよね。

 

 

その覚悟が僕にできてから、

離婚話は建設的なものになっていきました。

 

僕の状態の変化は、

相手の状態の変化を同時に生み出すようです。

 

 

 

僕の中にある

子供と会うことへの罪悪感については

いまのところ答えは出ていないですが、

  

内観を続けてみたいと思います。

 

 

いつか解放できたらいいな、と思いますし、

きっとそれは近いうちに訪れる気がします。

 

 

今日も素敵な夜をお過ごしください。

 

 

先日、伊丹空港から福岡空港に行くのに乗ったプロペラ機。