「約束を守らない」という行動から得ていたもの | 淡路島のカメラマン・清水翔平

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淡路島を拠点に活動するカメラマン・清水翔平のありのままの日常を綴ったブログです。

今日は

「『約束を守らない』という行動から得ていたもの」

というテーマでお届けします。

 

 

 

僕は学生時代、

友達との約束を守れないところがありました。

 

 

友達から借りたCDを

ボロボロにして返したり、

 

借りていることすら忘れて

気づいたら失くしていたり

 

 

もっとあからさまな例で言えば、

幼稚園児の時

他の園児がブロックで精巧に作った大作のおもちゃを

突然みんなの前で破壊したこともありました。

 

 

思い出せる範囲でも

いくつかこういう行動をとっていたので

 

軽度のものであれば

実際は日常的にしていたのだと思います。

 

 

なぜこういう行動を取っていたのか?

 

 

 

僕は、

「自分が大切に扱われたい」

という望みを諦めてしまっていたのだと思います。

 

 

一言で言えば

「拗らせていた」

ということです。

 

 

 

僕は、

記憶にある一番古い場面のなかで、

すでにセルフイメージが低い感覚が

あったことが思い出されます。

 

 

「僕は一人では何もできない子だ」

「自分は馬鹿にされて当然の存在だ」

 

 

そんな思い込みを持っていたように思います。

 

 

 

小さい頃の僕はとても泣き虫だったのを覚えています。

 

 

何をするにも、

お母さんに助けてもらっていました。

 

困った時にはお母さんに泣きつけば、

なんとかしてくれると思っていました。

 

 

実際お母さんは優しい人だったので、

僕が泣いて困った姿を見せれば

大抵のことは代わりにやってくれていたんですよね。

 

 

僕はそうして、

困ったことを全てお母さんにやってもらうかわりに、

「助けてもらわないと何もできない」というような低いセルフイメージを身につけてきたような気がします。

 

 

 

低いセルフイメージは

それに見合う出来事を作り出します。

 

僕の場合、幼稚園のときに

軽度のいじめや仲間はずれを経験しました。

 

 

 

幼稚園の年長のバレンタインの日、

クラスで1番くらいにかわいい女の子から

「本命だから」といって

チョコレートを渡されたことがありました。

 

普通なら嬉しいはずのその出来事も、

そのときは嬉しいどころか、

 

 

「恥ずかしい」

「こんなところ見られたらまた馬鹿にされる」

「こんな目立つことしないでほしい」

 

といったマイナスの感情が

一気に湧き上がって戸惑いました。

(性に関するブロックも絡んでいる気がします)

 

 

案の定、僕はそのいじめっ子からからかわれ、

傷ついた記憶があります。

 

 

 

「自分は大切に扱われない」

 

と思い込み、

その世界をずっと生きていた僕は、

 

 

いつしか友達のことを

大切に扱えなくなっていきました。

 

 

 

「自分はこのくらいの扱いされて当然」

 

という感覚が刷り込まれると、

 

 

そのまま周りの人間に対しても

同じ感覚で接してしまいます。

 

 

 

その感覚の中には、

大切に扱われなかったことへの

復讐心もあったと思います。

 

 

「お前だってこのくらいに扱われて当然だ」

という感覚です。

 

 

 

そうすると、

ますます周りからは大切に扱われないという経験をして

そのセルフイメージが強化されていくんですよね。

 

 

 

センターピースという心理学を学び始めてから

大きな違いを感じていることの一つは

 

「周りの人から大切に扱われるようになった感じがする」

 

ということです。

 

 

一つ具体例をいうと、

「いじられて嫌な気持ちになる」という体験をほとんどしなくなりました。

 

 

僕は学生時代から

「いじられキャラ」という立ち位置に立つことが多く、

 

大学生くらいになると

自らそのキャラクターを演じて

「いじられキャラ」というポジションを

自分で取りにいくこともありました。

 

 

嫌な気持ちになることも多かったですが、

ポジションが確立されていて

まわりの言動が予想できる安心感の方が

勝っていたんだと思います。

 

 

 

でも、センターピースを受講し始めた頃から

僕は自分が「いじられキャラ」だったことを忘れるくらい、

 

いじられて嫌な気持ちになる経験は目の前から無くなりました。

 

 

 

僕はそれだけ

自分を大切に扱えるようになり、

 

その分だけ周りの人も

大切に扱えるようになったのかもしれません。

 

 

 

小さかった頃の僕が

 

「約束を守るのが大切だよ」

 

と言われても

守れないのには理由があったんだと思います。

 

 

そうすることで

自分のポジションを守ったり、

誰かに構ってもらったり、

自らの正当性を主張する

という目的があったのです。

 

 

それを優しく解いてくれたのが

センターピースの学びであり、

メンターの亀井弘喜さんの在り方でした。

 

 

「人は本来、ありのままで素晴らしい存在である」

 

 

という感覚が

インストールされるに従って

 

「約束を守る」

 

という一つの原則を

遵守する準備ができたんですよね。

 

 

 

世界が優しくなっていくのを

感じる日々です。

 

 

仙台空港から見た景色。

生まれ育った仙台という街が大好きです。

撮影はiPhone SE2。