こういう記事を見つけました。

 

誹謗中傷かどうかよりも、

批判の量のほうが問題じゃ

ないかなという話

https://kensuu.com/n/n04e9750d026d

(今のところ全文無料で読めるようです。)

 

なお、関連記事は↓

 

”甚大なサイバー暴力による

有名人の圧殺を防ぐには

新たな立法しかないのでは”

(その1)

(その2)

 

そちらでも書いたことですが、

「批判」と「誹謗中傷」の境界って、

微妙なところもあるような

気がしています。

 

そして、今回の紹介記事ですが、

小さいミスや悪事があって、

それに対し、「誹謗中傷」ではなく

きちんとした「批判」であっても、

それが大量に寄せられると、

それを受けた側の精神的負担は

とても大きいのではないか?

というものです。

 

そうですね、たしかにごもっともな

ご指摘と思います。

(詳しい実例など、ぜひリンクから

全文お読みください。)

 

ただまあ、それでも、微妙な

境界部分でなくて、あきらかに

誹謗中傷や脅迫に当たるものも

あるわけで(すぐ思い付くのは、

「○ね」とか「○すぞ」とか)、

「批判」と「誹謗中傷」を区分する意味は

全くないとは言えないと、私は思ってます。

 

それから、もう1つ気付いたことは、

「批判の量」の「可視化」「拡散」

ではないか、と思うわけです。

 

ツイッターでも、あるいは他のSNSでも

ブログでも、すでに批判が多数ついていると、

「赤信号(でも)みんなで渡れば……」

みたいな発想になって、

あるいは「群集心理」みたいな感覚でしょうか?

以前なら、本当に人が集まっていないと

起きなかったであろう「群集心理」が、

ネット社会によりバーチャルながら

容易に実現してしまうのではないか?

そんなことを思うわけです。

 

しかも、リアル群衆なら、

名札は付けていなくても、

顔や服装は見られてますし、

下手したら、写真や録音録画などを

撮られるかもしれません。

 

ところが、匿名コメントが当然のようになると、

その歯止めさえかからなくなります。

そういう意味では、発信者特定を

容易にすることは、やはり必要な気がします。

(最終的に法に触れるかどうかは

裁判所の判断となるでしょうが。)

 

実は、ネット社会以前でも、

大量の批判なり誹謗中傷が

殺到する現象はあったのだと思います。

 

すぐ思い出すのは、松本サリン事件で、

本当はオウム真理教がサリンを

まいたにもかかわらず、

別の方が被疑者扱いされ、

その方自体被害者で、本来は

要治療状態であったにもかかわらず、

警察から、連日長時間の取調べを受け、

犯人扱いされたわけです。

 

そして、マスコミもそのように報じたため、

その方の自宅にも手紙のほか、

電話も殺到したとか。

https://www.asahi.com/articles/ASM702SKXM70ULZU001.html

(一部引用)

「逮捕もされず、まだ裁判も

行われていないのに、一瞬にして

犯人にされてしまいました。

自宅には無言電話や嫌がらせの電話、

脅迫の手紙がたくさん来ました。

被害者の親戚を名乗る人から

『お前を恨む。殺してやりたい』

と書かれた手紙が来たこともあります」

 

もちろん、今でも、おそらく、

手紙や電話の「攻撃」も

あるのだと思います。

 

ただ、手紙は多少なりとも

お金がかかりますし、あるいは

指紋や消印等で足が付くかもしれません。

 

一方、電話は、今でこそ、

着信拒否とか、番号表示とか

非通知お断りとか、それなりに

対策も取れるようになっていますが、

昔はそういうものもなく、

話す必要のある大事な電話が

来る可能性があれば、

誰からかかってきたかどうか

分からないまま、電話に出ざるを

得ないわけです。

 

(昔は、他の連絡手段は郵便か

直接来訪くらいで、メールなど

無かったわけです。また、今は固定電話も

簡単に配線の抜き差しもできますが、

そうではない時代もありました。)

 

また、今の技術ではどうなのか

分かりませんが、当時は、

執拗にかけたり、長時間話せば

逆探知され特定される恐れも

あったでしょうが、電話に出た相手に

一言二言暴言を浴びせて切れば、

発信者が分からないままで

済んだかもしれません。

 

「声紋」での特定も、

声に聞き覚えのある知人からなら

使えるかもしれませんが、

見ず知らずの人からであれば

有効ではないと思います。

 

それはともかく、以前であれば

こういう「抗議」現象自体が

報道されることはほとんどなく、

また、電話や手紙というのは、

やはり「声」「筆跡」が知られるので

多少ハードルがあるように思います。

 

ところが、SNS等のコメントでは、

ハードルも低いわけで、

それがなおさら「量」を生んで

しまうのではないか?

そんな気がしております。

 

そうであれば、コメント発信が

これだけ容易であるなら、

その発信者の特定も、

もう少し容易にされてよろしい

のではないか、と私など思うわけです。

 

 


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