(下関くじら文化振興室より)
林兼鉄工造船所
林兼鉄工造船所は、大正五年中部鉄工所からはじまり、爾来幾度かの発展的解消により、昭和二十年に林兼造船株式会社となったのである。四十年十一月十二日に第八十五大洋丸(一八五O屯)の建造で一○六二隻目の進水が行われたのであるが、わが国、数ある造船界のなかでる造船隻数では屈指といえよう。
進水式といえば先ず銀斧をふって、ささえ綱を切るのは、すその清潔な女ときかされていたのに、ここでは風格のある船主が堂々と切断しているので、そろっと尋ねてみたら、あまり進水が激しいので彦島にはもう処女がいなくなったとは、ほんとうとも、でたらめともわからない返事であった。
昭和三十七年には大洋漁業が世界に誇る、新鋭捕鯨船「第二十五利丸」を建造、さらに、三十九年十一月にはノルウェーに捕鯨船を逆輸出するなど、五十年間に亘りめざましい発展を示し、今後も着実な歩みをつづけてゆくであろう。 (和田)
(馬関図絵 亀山八幡宮社務所)
(彦島のけしきより).
参考
① 旧林兼造船の工場の現在
② 旧第三工場の現在(参考)