船だまり(下関)
一寸前まではこのあたりが船の出入りでいちばん賑わっていたと思う、この古い水上署の建物もいまは別の場所に新しく建設された。しかしこの場所は何となく懐しさのこみあげてくる場所ではないだろうか。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
海峡のアラベスク(下関)
桜の季節は短い。海峡を望む火の山附近は対岸のめかりの山の中腹に織りなす淡紅色の桜と海峡の渦巻く流れが織りなす季節の色どりをことさら美しく見せてくれる。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
火の山から(下関)
海峡の全貌を眺めるには門司の風師山か、この火の山しかない。海峡は、海というより大河といってもよい感じだ。午前、午後と日の光も変化し、海流も変化する。ここから見る船舶は少年の頃、金だらいに水を張って、ちっちゃな舟の尻に樟脳の粒をつけてくるくるとはしり廻る様のようだ。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
海峡(下関)
彦島弟子待。昭和二十六年頃、最初にこ、からの風景を描いて以来私はここから見る海峡が好きだ。最近は住宅が建て込んで空地がなくなったため、眺める場所を探すのに一寸苦労する。このあたりに住んでいる人達が誠に羨ましいと思っている。県外の旅行者にも、この眺めは見てほしいのであるが海峡側に道路がないため見てもらえないのが残念である。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
小門のあたり(下関)
せまい小瀬戸である。昔は急流であった。彦島側は小戸、下関側は小門というが、ここは下関漁港から日本海側への出入口となっている。その昔は小門の夜焚きというのがあって賑ったのだそうだ。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
観音崎(下関)
観音崎のあたりは埋立てたりして、すっかり変わってしまった。ここは新しい下関水上警察署の前の船溜りである。今は海岸の倉庫群もなくなって、すっきりと海が見えて気分がよい、このあたりに海辺を散歩できる公園が欲しいものである。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
丸山教会(下関)
下関でいちばん古い教会である。丸山町の坂道の中腹にある、その昔、この教会が建てられた頃はさぞかしここからの関門海峡の眺望がよかったにちがいない。今は海峡が見えなくなってしまったがそのかわり素晴らしいパイプオルガンの音が聞える。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
港の展望タワー(下関)
港に展望タワーを造ったら、とは何年か前の市政百年記念のとき提案したのだがその時は何の反応もなかった。しかし県が加わればかくの如しである。今こうして港に聳えている姿を見ると他都市と比べてもう少しスマートであって欲しかった。しかし夜、ライトアップした光の変化はなかなか美しい。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
工場と漁港(小野田)
小野田は細長い町である。竜王のほうに向ってドンドン行って、ようやく漁港にたどりついたような気がした。漁港の向うは見馴れぬ建物が重なりあっていて漁港の船とのコントラストが実に面白い。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
津布田(山陽町)
眺めのよい所である。海峡がのびやかに広がりをみせ、九州と本州が接している部分に関門大橋が遠望できる。このあたりには別荘風な家が点在していて私もこんな場所にアトリエが欲しくなった。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
千鳥ケ浜附近(下関)
このあたりは干潟のひろがるところ、最近はひらけてまわりがさわがしくなってきたが、野鳥たちには安心できる場所だろうか。この入江は水門から入った船の溜り場でのどかな風景である。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
土塀(下関長府)
自分が住んでいる町なので、いちばん身近かに親しみと安らぎを手ばなしで感じてしまう。土塀のもつ土肌の暖かみと感触はいいようもなく心の内側にしみこんでくる。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
横枕小路(下関長府)
夏のこのあたりは、木や蔓草が繁りすぎていて気がつかなかったが春さき、この道を歩いていて思いもかけず、桜の花が空間にちりばめたように咲いているのをみた。この小路がまたいっそう好きになった。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
錦帯橋(岩国市)
すがすがしい橋だとおもう。上流から見ても、下流側からみても、美しくのびやかで、気分がさわやかになる。ゆったりした河原と山にかこまれた錦帯橋はやはり名橋である。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
其中庵(小郡町)
「はるかぜのはちのこひとつ」の句碑が庭先にあった。誠にきれいに復元された其中庵には何も見当らない。ただただ山頭火の句の中にのみ山頭火は生きているのだ、と思った。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
秋吉台(秋芳町)
見渡すかぎりの丘陵に大小の石灰岩が、うねりながらひろがり白く光る。そしてその中を縦横にはしる小道を歩いていると、自分が小さな動物となって、かけまわってみたい錯覚をおぼえる。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
湯本温泉(長門市)
町の中を流れる音信川は川の中にある岩のバランスが良くて美しいとおもう。川岸にある洗濯場は今は利用されていなく淋しい。湯本温泉の風物として復活してほしいものだ。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
油谷湾(久津港)
夕日がきれいだと地元の人はいう。呆んやり海を眺めていると幸せな気分になってくる。近くにある揚貴妃の史跡が観光客の人気を呼んでいるそうだ。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
角島(豊北町)
丈の小さな薊と豆科の黄色い花が、この牧場全体に咲き乱れていた。昔、私がよく来たころより全体に少し荒れた感じがした。美しい放牧場の野芝ときれいなピンク色の砂浜のイメージはどこへいったのだろう。この島にもまもなく橋がかかる。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
殿居の旧郵便局(豊田町)
国道435号線、西市と特牛の中間にあるこの古い郵便局は大正十二年に建てられた。古風でモダンで風変わりで一寸立ちどまって見とれる建物である。国道ぞいなのであまりのんびり眺めるわけにもゆかないが、併行して流れる川の土手まで行ってみると改めて見直すほど立派である。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
わら屋根(豊田町)
「あの家は年寄り一人だからもうそのま、ほってあるんよ」と道で草刈りをしている人がいう。屋根がひどく崩れてトタンや板でツギ当てをした部分がある。わら屋根が多くみられるこの地区だが、今はみなトタンがかぶせてある。そしてそのまま崩れてゆく家もあるようだ。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
俵山摩羅観音(豊田町)
温泉町の奥にこの社がある。全国にもこれに似たものがあるようだが、それぞれ謂があるのだろう。リアルなものよりシンプルな表現のほうが親しみがもてる。格子にくくりつけた「おみくぢ」の折れた形が鳥がとんでいるようでおもしろい。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
狗留孫山(豊田町)
久しぶりに狗留孫山に行ってみた。丁度、台風一過のあとで雲も多く杉木立ちのなか、水滴が画紙の上に落ち、描きにくかった。頂上へは行かずに中腹の修善寺でスケッチして下山した。この寺の味噌田楽は美味とのことだ。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
寂地渓谷(本郷村)
雨になった山の道を登った。ようやく寂地峡に着く頃は雨も上って、渓谷の流れと紅葉がひときわ鮮やかで目に快い。流れも、木々も何となく素朴に感じられるのがこの渓谷美のもとになっているのだろう。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
佐波川(防府)
何十年も前からこの川を描きたいと思っていた。こんど改めて訪れて見ると昔の姿とは少しイメージが変わっていた。やはり川の岸を改修したせいだとおもう。川の美しさは川岸にあるのだ。川の両側にそびえる右田ヶ岳の岩の肌や矢筈岳のなだらかな稜線が美しくほっとする。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
大岩郷(万倉)
この巨大な岩石はどうしてここにあるのだろう、という疑問はだれでも持つだろう。もうひとつの不思議は、この山を越えた直線上の数キロ離れた吉部という村にも、この万倉に負けない岩の谷がある。まったく民話には恰好な風景ではないか。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
萩城址
観光客の喧騒から離れてこの浜辺にくると何かホッとする。銃眼のある土塀とその後方の指月山が誠に美しく絵になる風景を形づくっている。この指月山は以前、作家の古川薫氏とフウフウ云いながら登った事がある頂上にも銃眼のついた土塀がある。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
椹野川(山口市)
河原に生える植物が四季それぞれに、オヤッと思う程変化してゆくさまがいい。改修されていない自然の残る川岸の植物の生態がのびのびとしていることに川のもつ意儀と美しさがある。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
上関
上関へはずいぶん昔に、山口新聞に連載した豊田行二氏の新聞小説「誰も知らない」のさし絵取材で来たことがある。今ここは原発問題で話題の町だが、ただ見る限りではのんびりとした港町という感じであった。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
大島
大島へ渡る橋の下はなかなかの急流である。最近になってこの橋の通行料金が無料になったそうで、これで観光客も多くなることだろう。この絵の場所は文珠公園への途中で何のへんてつもない山道だが遠くに海峡と橋が見える。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
徳佐のしだれ桜(阿東町)
山口線徳佐駅のそばに鳥居があって、そこから桜並木が続く。国道を横切って社殿までの約三○○メートルは参道の両側からしだれる桜のまん幕のなかを散策する感じで、気分はさくら色。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
県立美術館の木(山口市)
パークロードの欅並木が続くこのあたりは私の好きな場所のひとつ、空間のとりかたが人の心をゆったりさせてくれるのだと思う。美術館の赤い建物を背景に高い枝を空に向けてのびのびと立つ様がうらやましい。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
ホルンフェルス(須佐町)
風の強い日だった。海が見えてくると、断崖に打ち寄せる波は文字通り怒濤の如くであった。ホルンフェルスは遠くで見るより近くまで行ってみると迫力がある。岩にへばりつくようにして画紙が強風に吹きとばされぬよう体を張って押えながら描いた。描き終ったら、体の力が一気にぬけてクタクタになった。
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
自然は黙っている
自然は黙っている。
風景と話すことを
ゆるしてほしい。
風が、雲が、そして海が
悲しげだ
木々が梢を鳴らし
病んでゆく風景を見つめる
…コレハ
自然ではない
自然よ
ナニカ云ッテクダサイ
…いずれは
人類が落ちてゆく姿を想像できる
自然を欲しながら
再生し得ないものを
つくり続ける者たちよ
シカシ
自然は黙っている。
あとがきにかえて
一九九七年一月
古舘充臣
(画集 風のふくまゝ 古舘充臣)
(彦島のけしきより)