関門航送船、関門海峡 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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関門航送船

関森航路というのがあった。これは、下関と門司小森江を結ぶ貨車航送船のことで、古い歴史を遡れば明治三十二年頃に始まる。

いわゆる水車式航送船で、スクリューの代りに船体の両脇に直径四米半もある水車をつけ、前後に自由に動くしかけになっていた。

この船は私たちの郷愁であった。この船は海峡のシンボルであった。どうしてもこの海峡におきたかった船。しかし、それは関門鉄道トンネル開通のため昭和十七年九月宇高航路にまわされた。その後、昭和二十五年八月、日本自動車航送のためまた下関に返り咲いたが、それもつかのま、こんどは昭和三十三年六月関門国道トンネルが開通したためまた下関から消えた。

どうしてもこの航送船は下関から姿を消さなければいけない運命にあったのかもわからない。(佐藤)

(馬関図絵 亀山八幡宮社務所)(彦島のけしきより)


参考

① 貨車航送(参考)


② 自動車航送(参考)