下関駅近くにあった自動車航送場 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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5〜6歳の頃、お客さんをのせた日帰り旅行のバスが外輪船に乗って九州・小森江に渡ったことを記憶している。

その自動車航送場の場所が昭和31年の写真に写っていた。昭和33年には廃止され、直ぐ隣に門司港に接続する国鉄の関門連絡船の桟橋が作られた。桟橋は昭和39年まで使われた。


大和町商港(昭和31年頃)

埋立工事完成により、市営渡船伊崎-岬町間が分断された(昭和7年12月着工)

(澤忠宏 関門海峡渡船史より)(彦島のけしきより)

赤丸は昭和33年まで運行された自動車航送場、その後、国鉄・関門連絡船の下関駅・門司港間の渡船の桟橋が作られ昭和39年まで運行された。


参考

① 昭和38年頃の渡船の桟橋(国鉄・関門連絡船のりば、下関駅・門司港間、参考)

1963年(昭和38年)


昭和17年(1942年)に旧下関駅付近から当地あたりに移動し、昭和33年から昭和39年(1964年)10月31日まで、この桟橋で営業した。

注: 唐戸・門司港間は民間の関門汽船(参考)


② 自動車航送場

1930年(昭和5年)、貨車航送場

昭和25年から8年間、自動車を扱う。

関門自動車航送船(関門海峽、昭和30年)(小森江に上陸)

シーモール正面玄関脇の壁面に「車両航送発祥の地」と書かれた銅板がある。日本初の貨車航送船は昭和25年、自動車航送船として復活、国道トンネル開通までの8年間就航した。

(下関・豊浦の100年より)


③ 小森江貨物航走場