下関と小森江を結ぶ初期の貨車航送船 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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宮本組運行の航送船(明治43年)    貨車は人力で手押しされた。

宮本組運行の航送船(明治43年)    鉄製レールの代わりに硬木が用いられた。

宮本組運行の航送船(明治44年)

貨車航送船の運行状況(明治末期から大正時代)    曳船のフランネルに宮本のマークが見える

下関可動橋(大正5年完成)    第一第二岸壁に艀が二隻見られる。

(澤忠宏 関門海峡渡船史より)(彦島のけしきより)


参考

① 外輪船の就航前は貨車を乗せた船(はしけ)をタグボートで牽引した(wikiより)

関門航路では旅客輸送とともに貨物輸送も行った。貨物輸送ははしけを用い、山陽鉄道が保有するタグボートにより曳航した。貨物の積卸は下関市の宮本組の請負であった。

1911年(明治44年)、宮本組の経営者であった宮本高次は伝馬形和船に甲板と線路を取り付け、7t積み貨車3両を直接積むことができる艀を試作した。この艀は同年10月1日から正式採用され、従来の貨車と艀の貨物積み替え作業をなくし、輸送の効率化が図られた。

これは日本初の鉄道車両航送である。貨車積み込み設備は下関市の竹崎と門司市の小森江に設けられ、従来の下関 - 門司港間の航路は旅客・郵便・手小荷物のみの扱いとなり、貨物輸送の運航区間は下関 - 小森江間に変更され関森航路と呼ばれるようになった。


② 外輪船による貨車航送(wikiより)

第一関門丸、第二関門丸は横浜船渠が建造し、第一関門丸は1919年(大正8年)7月3日に、第二関門丸は1919年(大正8年)8月1日2就航する。初めての自航式貨車航送船である。

第五関門丸が就航すると、第一・第二関門丸は予備船とされた。

1942年(昭和17年)7月1日、関門鉄道トンネルが開通し、下関・小森江間の鉄道車両渡船(関森航路)が廃止される。


③ 関森航路



④ 小森江貨物航走場