昭和50年代の下関駅前広場 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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下関駅前広場(昭和五十年代)

昭和四十六年二月、路面電車が廃止されたのちの駅前広場。正面の山口銀行の本店の手前に専門大店が見える。

人工地盤(平成六年)

下関駅前のスムーズな交通を確保するため、人工地盤を整備。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)(彦島のけしきより)


参考

① 専門大店、サンロード、下関大丸、竹崎ニチイの沿革(参考)

1971年(昭和46年)頃 竹崎ニチイ開店
1977年(昭和52年) サンロード開店、専門大店の後
1982年(昭和57年)・秋 二代目下関大丸解体。 18年間
1985年(昭和60年)3月 竹崎ニチイ閉店。63年?跡地はパチンコ店
1988年(昭和63年)12月 サンロード廃業。跡地はホテルと結婚式場


② 昭和38年あたりの下関駅前(参考)