毛利庭園、東京都港区六本木 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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家光を招いて茶会

1640年(寛永17)9月18日、秀元は、将軍家光を招いて大茶会を催している。秀元は、家光の御暗衆に加わってからは、人脈も拡大し、家光を招いての茶会には、水戸光圏など多くの闇老なども招かれ、その規模は、家光時代の最も大きな茶会であったといわれている。

その功績によって、家光から麻布日ケ誰に屋敷を拝領し、幕末まで藩邸として使用された。その地は、現在、六本木ヒルズそばで、毛利庭園として一部名前を残している。

このとき使用された「摂筆釜」は、 長府豊功神社に所蔵され、秀元が沢庵和尚に寄進した大硯は、東京東海寺に保存されている。

(下関市年表より)(彦島のけしきより)


参考

① 毛利庭園の現在

毛利庭園

東京都港区六本木6丁目10−1


② 長府庭園、下関市

長府庭園(平成二年)

長府藩家老屋敷で、平成二年に暫定的に公開されたが、のち庭園として整備。平成五年五月から一般公開されている。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)(彦島のけしきより)

注: 公開される前はマルハの中部家の所有であった。