日の山の遠景
宇部市と阿知須町の境にある日の山の麓には、月崎縄文遺跡、若宮古墳遺跡などがある。
海岸線沿いの、 このあたりの砂丘には、山口大学の研究グループが昭和三六年四月から発掘に手をつけて、貴重な資料を掘り出している。殊に、月崎縄文遺跡からは、縄文前期、後期の土器の破片や、石錘、石斧なども発掘された。
若宮遺跡
東岐波海岸の若宮遺跡からは、弥生時代の貴重な文化財が数多く発掘されている。弥生後期の石棺、土器など多数で、この時代にはいると人口密度も高くなっていることを物語っている。
日の山を背にして、このあたりの海辺に宇部の原始人が、六、七 ○○○年もの昔から、生活をもっていたことを思うと、足もとを洗う波の音にも、その時の模様を聞いてみたい心地がする。
松崎古墳
人々は水辺を求めて生活を移していたと歴史は語っている。
東岐波海岸から西岐波海岸にかけての古墳群、発掘される石棺のなかから出て来る副葬品は剣であったり、装飾品であったりして人々の生活の在り様を語りかける。
人々は海からやって来ていたのであろうか、ここ松崎古墳は、海を遠く離れた藤山区の丘で発掘された古墳時代の遺跡である。鏡と首飾りが発掘された。
霜降山
宇部の人たちは城山と呼んで親しんでいる背後の丘陵である。
平安時代から鎌倉時代にかけてこの地方で勢力を伸ばしていた厚東氏は、この丘のふもと棚井に館を構えて海上にも勢力を振っていた。
霜降山に城砦を築き、瀬戸内海を往来する船の動きを眺めながら、よく時局を洞察して行動していたと伝えられる。
厚東氏の権勢と繁栄を物語る伝説のいろいろが、今もこの山には秘められている。
浄名寺(厚東区棚井)
厚東氏一四代武実の祈願所また隠居所。武実はこの寺を一愛し、法名も浄名寺殿といい正平三(一三四八)年京都に没したが遺言によりこの寺に葬られた。
寺の境内には厚東武実の墓と伝えられる五輪塔が現存する。寺に伝わる厚東、大内、毛利氏関係の文書は宇部市指定文化財である。
(明治大正昭和「宇部」より)(彦島のけしきより)
参考