北九州市八幡西区黒崎に縄文・弥生・古墳時代遺跡の記念碑があると教えてもらった。異なる時代の異なる文化の遺跡が同じ場所にあることになる。
この辺りは、地元の縄文人も渡来してきた弥生人も古墳時代人も気性と価値観が同じで気が合って、争いなしに連続的に時代が変わって行ったことを証明している。
実は地元の縄文人も渡来して来た弥生人や古墳時代人は同じ日本語を喋って会話できたのであった(参考)。
同様に、下関市の川中地区が弥生時代から縄文時代の遺跡の宝庫であるが、縄文時代の遺物も出土している。例えば、伊倉本町は弥生時代以来の農家の集落と見られるが、縄文時代の遺物も見つかっている。
参考
黒崎貝塚の碑の近くのマンションには縄文・弥生・古墳時代遺跡記念碑なんてのがあります。
何が出たのだろう?