お金代わりの米、下関市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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香典がわりの米 

現在では香典といえば金銭を供えるが、当時、農村部ではお米を供えることもあった。(豊浦町宇賀·昭和20年代·提供=中西経一氏)

(下関市の昭和より)(彦島のけしきより)


コメント: 

今でも、お寺さんのお参りでは、年一回はお米を持参する。また、お大師さんでも、お米のお捻りで日の丸の旗菓子が貰える。

昔の農家は、つけ払いで年末に決済していた。すなわち、秋に収穫したお米を現金に換えた後に、日頃購入した物の代金を支払っていた。だから、緊急の場合、お金の代わりに自家消費のお米で直接決済するケースも多かったであろう。

日頃の現金収入は、安岡ネギなどの野菜を市場に出荷して得ていた。