中華文明を作ったほとんどの人々は原日本語を喋っていた | 日本の歴史と日本人のルーツ

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春秋戦国時代の斉の首都、臨淄に思想家が集まり、各家の思想を互いに切磋琢磨して確立して行った。特に著名なのが、儒教の孔子の他、孟子、老子、、、などである。

彼らの多くは斉の出身であった。また、孔子は隣国の魯の出身であったが、斉の民と同じく、漢字を発明した殷人の末裔であった。実は殷人は縄文人と同族であり原日本語を喋っていたのであった。

すなわち、中華文明と言われる文明のほとんどは原日本語を喋っていた人々によって創られたことになる。

しかし、漢民族が樹立した漢帝国では、原日本語を喋っていた殷人の末裔の人々は東夷諸国に属し、主従が逆転して漢帝国の中央に対して反乱を起こしたりしている。


参考

① 日本語の起源(参考)、、、羌族(現在のチャン族の祖先)、秦、斉、、などはY染色体ハプログループDを共有し、そして原日本語を喋っていた。


② 原日本語を喋った人々は縄文人と同族の殷人の末裔であった(参考)、、、秦、斉、楚、宋、など


③ 論語を書いた孔子も殷人の末裔であった。彼は斉の南隣の魯に生まれた(wikiより)!

孔子(故宮博物院、参考)


④ 前漢時代の呉楚七国の乱(wikiより)

前漢の紀元前154年に、呉王・楚王ほか七国の諸侯が起こした反乱。まさに、漢帝国の中央と東夷諸国の争いであった。



楚は既に滅びた斉や秦と同族の国で、殷の末裔の国であった。楚王は秦の始皇帝と価値観を共有し、小規模であるが兵馬俑を作っている(参考)


⑤ 山口県下関市の土井ヶ浜遺跡から出土した土井ヶ浜弥生人は斉の国の臨淄から渡って来た(参考)、、、土井ヶ浜弥生人の人骨は縄文人に近い特徴を持っていた。

斉の臨淄は山東半島の付け根の北部の渤海の沿岸に位置する(世界の歴史まっぷより) 

注: 秦、斉、楚、宋、、、など黄緑色の国々は殷人の末裔の国でY染色体ハプログループDであった。オレンジ色が漢民族のO3の国である。ただし、揚子江下流域の呉・越はO2の稲作農耕民で古代の夏王朝を作った民族であり、第3のグループとして風見鶏的に振る舞っていたが、現在では漢民族に飲み込まれてしまっている。


⑥ 古代中国の思想家達、諸子百家を育てた斉は原日本語を喋る人々の国であり、多くの思想家達の出身地でもあった。