平城京の東方官衙跡か!? | 日本の歴史と日本人のルーツ

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赤印: 発掘調査地、奈良県奈良市


参考

奈良時代の「内閣官房」? 平城宮跡で最大規模の建物跡

朝日新聞(2019.9.27、参考)

平城宮跡で出土した最大規模の建物跡=2019年9月26日午前10時16分、奈良市、朝日新聞社ヘリから、小杉豊和撮影

奈良市の特別史跡、平城宮跡(8世紀)で、奈良時代のトップクラスの中央官庁とみられる大型建物跡がみつかった。奈良文化財研究所(奈文研)が26日発表した。天皇が重要儀式で出御するなど宮殿内の中枢だった大極殿(だいごくでん)や朝堂(ちょうどう)に次ぎ、平城宮跡で出土した最大規模の建物跡とされる。律令制度下で政務全般を担い、行政の最高機関とされた太政官(だいじょうかん)の建物跡の可能性が高く、古代の中央官庁の配置の移り変わりを探る重要な発見として注目される。


奈文研によれば、みつかったのは奈良時代後期に造られた「第二次大極殿」の東に位置する「東方官衙(とうほうかんが)」と呼ばれる官庁街の一角。大極殿から約200メートル離れ、南北約17メートル、東西約29メートルの長方形の基壇のほか、基壇の南北両面に3カ所ずつの石の階段も出土した。基壇の高さは推定約1・2メートル。瓦も出土し、南北約13メートル、東西約22メートルの瓦葺(ぶ)き建物があったとみられる。