漢字の米の読み「マイ」、「ベイ」、「こめ」、「よね」 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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漢字の米の読みには「マイ」、「ベイ」、「こめ」、「よね」など複数ある。前者の二種類は音読み、後者の二種類は訓読みとされている。この四種の由来を考える。メートルという読みもあるが、長さの単位mの漢字表記であり、ここでは無視する。

最後の訓読み「よね」については稲「いね」の転訛のようで、米田(よねだ)は稲田(いなだ)と同じ意味となる。

米と稲の訓読みの「こめ」「いね」は大野晋先生の日本語の起源の研究によればタミル語に対応する言葉である。すなわち、「こめ」「いね」は揚子江下流域の稲作発祥の地の呉・越からの渡来系弥生人(Y-DNAハプログループO2)の言葉であり、米と一緒に渡来した言葉であった。訓読み扱いしているが、外来語であった。

音読みの漢音「ベイ」、呉音「マイ」について、前者は唐の長安の発音、後者の呉音はさらに古代に遡る発音とされている。

すなわち、米の読みについては日本古来のものでは無く、渡来人と共に一緒についてきた外来語であったようだ。

渡来人には大きく二種類あり、揚子江下流域の呉からの稲作農民(Y-DNAハプログループO2)と斉や秦からの渡来人(Y-DNAハプログループD2(旧分類))からなる。

「こめ」が前者の揚子江下流域の呉の民の使う読みであったから、呉音「マイ」は後者の斉や秦からの渡来人の使う読みであったと考えられる。漢音「ベイ」は後代の唐の国の長安で使われていた当時の正統な読みであったようだ。



参考


① 
米の読み方/圧倒的に多い「よね」

桐生タイムスより(桐生医師会、参考)

米倉涼子主演のテレビドラマを見て、ふと疑問に思った。米をなぜ「ヨネ」と読むのだろう。常用漢字音訓表では米の音はベイとマイ、訓はこめで、よねは載っていない。

電話帳の桐生市の個人名(ハローページ)には、米岡2、米川5、米沢3、米澤3、米田1、米原3、米本2、米山10、計29人の米が記されているが、全員米をよねと読み、こめ、ベイ、マイ、め、よなと読む氏は見当たらない。


たまたま読んだ新聞で知ったが、青森県六ケ所村の米田さんはマイダと読むそうだ。


地名では滋賀県の米原、鳥取県の米子、福岡県の久留米など「よね」以外の読みかたもあるが、山形県の米沢は氏と同様よねざわだ。


米は昔「よね」といっていたのかと思い、広辞苑の「よね」を引くと〔米〕(ヨナの転)〓こめ。〓(「米」の字の形から)八十八歳の称。米寿。「―の祝い」との解説だ。


古語辞典の「よね」には((古形ヨナの転))こめとある。「よな」の項には米((イナ(稲)の母音交替形か))「よね」の古形、だ。


要するに、稲(いな)いね、よな、よねと変化したらしい。米は稲の実だから言葉の変化は納得できる。私の想像どおりだった。


米は氏では「よね」と読むのが圧倒的に多いのに、国語審議会はなぜそれを排除したのだろうか。一般名詞には米を「よね」と読むものが少なく、米酢を「よねず」とも「こめず」とも読むので、「よね」を音訓表に載せなかったのだろう。


話は変わるが、長さの単位メートルを昔は米や米突と記した。そのため1kメートル(1000メートル)を粁、1センチメートルを糎と表記した。厘は分・厘・毛すなわち100分の1の意味だ。従って1粍は1000分の1メートル、1ミリメートルだ。


アメリカは米国と現在でも記されるが、昔亜米利加と表記した。略するときは一番上の文字をとるのが普通だが、アジアを亜細亜と書いたので亜ではアメリカかアジアか区別できないので、二字目の米をとって米国と記すようになった。アメリカ産の米に敬意を表したわけではない。


イギリスは英吉利と書かれ、現在でも英国で通用する。江戸時代にはエゲレスまたはアンゲリアといわれていたらしい。


国名を漢字で書くのは、米国、英国のほかに中国・韓国ぐらいで、他の国は片カナで記す。


昔は外国を全部漢字で書いたのだが、現在では伯・墨・蘭のように記されてはどこの国か分からないので、片カナ表記となった。

 注ブラジル 伯刺西爾
  メキシコ 墨西哥
  オランダ 和蘭・阿蘭陀


(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)



② 漢字の米の読み(ウィクショナリーより)

音読み 呉音: マイ
          漢音: ベイ
訓読み こめ、よね、メートル


③-1 この南インドのタミル語が、日本語の水田稲作の単語と多く対応するのです(mixiユーザーの日記、参考)。 

アゼ・アデ・クロ(畔)、ウネ(畝)、タンボ(田)、シロ(泥)、ハタ・ハタケ(畑)、コバ(焼畑)、ニ(稲)、アハ(粟)、コメ(米)、クマ(神米)、ヌカ(糠)、アレ(餅粉)、カユ(粥)、モチヒ(餅)、カス(粕)などなどです。 


③-2 日本語とタミル語の間の日常生活の用語の対応(参考)

(耕作地)①、畑 日本語(fat-akë)、タミル語(paţ-ukar)。②田んぼ 日本語(tamb-o)、タミル語(tamp-al)。③畦 日本語(az-e)、タミル語(acc-u)。④泥 日本語(sir-ö)、タミル語(cēr-u)

(作物・食品)①、稲 日本語(in-a)、タミル語(ēn-al)粟。②早稲 日本語(was-e)、タミル語(pac-u)果実の未熟。③粟 日本語(af-a)、タミル語(av-ai)臼の中で粟をつく。④米 日本語(köm-ë)、タミル語(kum-ai)臼の中で軽くつく。⑤粥 日本語(kay-u)、タミル語(kaļ-i)。⑥、餅 日本語(mot-i)、タミル語(möt-akam)。⑦、穂 日本語(fö)、タミル語(pü)花・穂の意。


④ 大野晋の日本語の起源(参考)、、、インドのタミル地方と揚子江下流域の呉・越の国と九州から朝鮮半島あたりに分布する稲作農耕民(男性遺伝子Y-DNAハプログループO2)の言語


⑤ 漢字の呉音は元々は和音(やまとごえ)と呼ばれていた(wikiより)

呉音しか読音がない時代には名称などなく、後に漢音が導入されて以降につけられた名称(レトロニム)である。かなり定着していたことから古くは和音(やまとごえ・わおん)と呼ばれ、平安時代中期以降、呉音と呼ばれるようになったが、これらの語は漢音の普及を推進する側からの蔑称であったらしい。中国の唐代、首都長安ではその地域の音を秦音と呼び、それ以外の地域の音、特に長江以南の音を「呉音」とか「呉楚之音」と呼んでいた。帰国した留学生たちが、これにもとづいて長安の音を正統とし、日本に以前から定着していた音を呉音と呼んだものと考えられる。


⑥ 漢音(かんおん、wikiより)

日本漢字音(音読み)の一つ。古くは「からごえ」とも呼んだ。7, 8世紀、奈良時代後期から平安時代の初めごろまでに、遣隋使・遣唐使や留学僧などにより伝えられた音をいう。中国語の中古音のうち、唐中葉頃の長安地方の音韻体系(秦音)を多く反映している。(注: 秦音と言っても唐の長安での音のことで、古の秦の音では無い)



⑦ 唐音(とうおん・とういん、wikiより)

日本漢字音(音読み)において鎌倉時代以降に中国から入ってきた字音。以降の字音である。唐音の唐は、漢音呉音と同様に、王朝名を表す(唐朝)のではなく、中国を表す語(唐土)である。


⑧ 漢字の稲の読み(ウィクショナリーより)

音読み 呉音: ドウ(表外)
          漢音: トウ
訓読み いね、いな


⑨ 呉音と漢音の違いと梅「ウメ」の語源(参考)


10 日本語の起源、、、日本語は中国大陸でも広く喋られていたが、渡来人と共に日本列島に集中した