呉音と漢音の違いと梅「ウメ」の語源 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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梅は中国原産であり、遣唐使が日本に持ち帰ったとされている。そして、当時、梅は中国大陸の唐では漢音でバイと読まれていた。

すなわち、初めて遣唐使が梅を持ち帰って日本に持ち込まれた時、梅はバイとしか呼ばれていなかったはずである。しかし、それにも関わらず、日本での読みは呉音の梅(メイ)を採用して、これが転化してウメとなった。

呉音とは漢音より古い漢字の音読みであり、本来は和音(やまとごえ、わおん)と呼ばれていた

すなわち、秦の始皇帝が漢字の書体を定めた以降、秦の国では呉音で漢字を読んでいたと考えられ、日本列島にやって来た渡来人の秦氏は日本列島に昔から存在する物の漢字名は訓読みと呉音の音読みを使い分けたが、日本列島に無い物の漢字名は呉音の音読みで読んだと考えられる。

だから、遣唐使が梅を苦労して持ち帰るまでは日本列島には無いにも関わらず、既に梅を呉音でメイと呼び、これが転化してウメと呼ばれていたのである。そうして、遣唐使が梅を持ち帰った後もウメと呼び、漢音のバイは特殊なケースにおいて使われたと思われる。


雑談

実際には、遣唐使が梅(バイ)を持ち帰る前から、例えば渡来人の秦氏が既に梅を同伴して、梅(ウメ)の花を愛でて、実を食していたのかも知れない。


参考

① 梅について(wikiより)

原産地は中国であり遣唐使が日本にもたらしたと考えられている。(遣唐使は西暦630年から894年まで)

「ウメ」の語源には諸説ある。一つは中国語の「梅」(マイあるいはメイ)の転という説で、伝来当時の日本人は、鼻音の前に軽い鼻音を重ねていた(東北方言などにその名残りがある)ため、me を /mme/(ンメ)のように発音していた。これが「ムメ」のように表記され、さらに読まれることで /mume/ となり /ume/ へと転訛した、というものである。上記のように「ンメ」のように発音する方言もまた残っている。



② 【毎】【梅】の読みについて(ヤフー知恵袋より)

呉音:マイ
漢音:バイ

慣用により、「毎」は呉音で読み、「梅」は漢音で読まれることが多い。

「梅」の“訓”「うめ」は「むめ〔ンメ〕」に由来


③ 漢字の呉音は元々は和音(やまとごえ)と呼ばれていた(wikiより)

呉音しか読音がない時代には名称などなく、後に漢音が導入されて以降につけられた名称(レトロニム)である。かなり定着していたことから古くは和音(やまとごえ・わおん)と呼ばれ、平安時代中期以降、呉音と呼ばれるようになったが、これらの語は漢音の普及を推進する側からの蔑称であったらしい。中国の唐代、首都長安ではその地域の音を秦音と呼び、それ以外の地域の音、特に長江以南の音を「呉音」とか「呉楚之音」と呼んでいた。帰国した留学生たちが、これにもとづいて長安の音を正統とし、日本に以前から定着していた音を呉音と呼んだものと考えられる。


④ 漢音(かんおん、wikiより)

日本漢字音(音読み)の一つ。古くは「からごえ」とも呼んだ。7, 8世紀、奈良時代後期から平安時代の初めごろまでに、遣隋使・遣唐使や留学僧などにより伝えられた音をいう。中国語の中古音のうち、唐中葉頃の長安地方の音韻体系(秦音)を多く反映している。(注: 秦音と言っても唐の長安での音のことで、古の秦の音では無い)


⑤ 唐音(とうおん・とういん、wikiより)

日本漢字音(音読み)において鎌倉時代以降に中国から入ってきた字音。以降の字音である。唐音の唐は、漢音呉音と同様に、王朝名を表す(唐朝)のではなく、中国を表す語(唐土)である。


⑥ 日本語の起源、、、日本語は中国大陸でも広く喋られていたが、渡来人と共に日本列島に集中した