金子みすゞは住まいを転々と変えている。
初めは職場である上山文英堂に夫と一緒に生活した。上山文英堂を辞めた夫と共に、初め近いところに住んだが、とんでもなく遠い上新地から新地あたりに転居して、最後に離縁して上山文英堂に戻って亡くなった。
その間、遊郭通いの夫と子供との生活であったと言う。実は、ここ新地あたりは今も建物が残っているが遊郭の立ち並んだ地域であった。
とんでも無い夫であった!
新地の旧遊郭の現存の建物の一つ(参考)
ところで、ここら辺りは明治維新の立役者の高杉晋作ゆかりの地でもあった。例えば桜山神社、萩藩新地会所跡、終焉の地、療養の地、晋作が潜んだ「ひょうたん井戸」などが有名である。
参考
① 金子みすゞの道
「金子みすゞの道」
・・・師と仰ぐ八十から、昭和2年「会いたいと電報が届いた」
旧下関駅で西條八十に会うために歩いた道「お目にかかりたさに、山を越えてまゐりました。またこれから山を越えて家へ戻ります」と彼女は言った。
この言葉に大きく心を動かされた。
愛児ふさえをおぶって、この山を越えてきた道、いったいどの道を歩いたのだろう?
この疑問が大きくなり、明治~昭和初期の古地図と格闘を始めた。
実際に道を変え何度も歩いてみた。結果的には矢崎節夫氏の紹介した道であった。
下関の古道として貴重な道であるので平成27年自書に紹介した。では「金子みすゞの道」を紹介しましょうこの古道を5月のフィールドワークで歩きます。
② 金子みすゞの転居生活
③ 上山文英堂
(金子みすゞの世界より)