東洋医学の中国大陸での歴史を遡ると、神話時代から日本人(縄文人)の同族が貢献していた! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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東洋医学の元は秦の始皇帝の健康・長生き志向、すなわち不老不死を求めた研究開発ビッグプロジェクトから始まっている。

さらに、中国大陸の歴史を遡ると、中国大陸最古の医学書は黄帝内径、薬学書は神農本草経と言われている。これらの書は、今から2200年以上前の戦国時代(紀元前403~前221年)に書かれたと言われ、秦の始皇帝が中国大陸を統一する直前にあたる。

これらの書の書名に黄帝と神農の名前が付いているが、中国大陸の神話にある三皇五帝のうちの二人であり、神農、黄帝は現代のチャン族や日本人(縄文人)、そして古代の秦氏の先祖神だった。

中国大陸の神話時代から降って、殷の料理人であった伊尹が薬用植物の料理の技術を工夫して湯液(煎じ薬)を作ったとされている。この殷は矢張り、日本人(縄文人)と同族の国であった(参考)。

そして、5・6世紀、中国大陸での医学・薬学の成果が秦の遺民と一緒に渡来したことになる。もちろん、置き忘れた知識は百済からの渡来人や遣隋使や遣唐使が持ち帰ったことになる。

漢方医学と「漢」が付いているからと言って、中国からもらったとは言えない(参考)。


雑談

遣唐使を止めたら国風文化が花開いたされるが、実は唐に置き忘れてきた国風文化を持ち帰って、それまでの埴輪に見られるユダヤ風文化や漢風文化に上書きしたと考えられる(参考)。


参考

① 東洋医学のルーツは秦の始皇帝と日本の仙薬だった(参考)

東洋医学の元は秦の始皇帝の健康・長生き志向、すなわち不老不死を求めた研究開発ビッグプロジェクトから始まっている。そして、地元、中国大陸のインチキ医学を整理している。彼、始皇帝の目には、東方の蓬莱の国、すなわち日本に不老不死の仙人と仙薬の存在が見えていたのである。

そして、5・6世紀、秦の遺民と一緒に再来日したことになる。

漢方薬とか漢方医学の漢方という名称の由来は、17世紀ころ日本へ伝来した西洋医学である「蘭方」と区別するためにつけられたものであり、もちろん、中国の伝統的な医学である「中医学」とも異なります。まさに漢方は、日本独自の医学なのです。


② 東洋医学のルーツは日本人の先祖神が開発した(参考)

東洋医学は中国伝統医学、漢方医学とも言われているが、中国最古の医学書は黄帝内径、薬学書は神農本草経と言われている。

これらの書は、今から2200年以上前の戦国時代(紀元前403~前221年)に書かれたと言われ、秦の始皇帝が中国大陸を統一する前にあたる。これらの書の書名に黄帝と神農の名前が付いているが、中国大陸の神話にある三皇五帝のうちの二人であり、神農、黄帝は現代のチャン族や日本人、そして古代の秦氏の先祖神だった。

すなわち、東洋医学の最古の医学書と薬学書は日本人の先祖神に敬意を払った著作物であり、東洋医学の原初の医師や薬剤師は日本人の先祖であったかも知れない。偽書と言われる宮下文書においては、原初神の伏羲は日本列島の富士高天原からやって来たとされ、神農や黄帝は伏羲の直系の子孫となっている。

徐福は秦の始皇帝の命を受け、不老長寿の仙人の住む蓬莱山(日本列島の富士山?)に仙薬を求めて渡海したが、当時の医学・薬学は日本の方が進んでいたのであろう。


③ 中国の薬学(wikiより)

中国においては、伝説上の王である神農が薬となる植物を判別したとされる。続いての料理人であった伊尹がその料理の技術を工夫して湯液(煎じ薬)を作り、更にそれを政治にも応用したと伝えられている(『史記』・『漢書』・『呂氏春秋』など)。

これらは伝説であるが、食事と医療の結びつける伝承は後世における薬膳に通じる側面がある。『漢書』郊祀志には前漢建始2年(紀元前31年)に「本草待詔」という官職が設置されたと記されており、この時代には「本草」という言葉が生じていた。遅くても後漢時代には中国最古の本草学の書である『神農本草経』が編纂され、後に陶弘景によって注釈書(『本草経集注』)が書かれて以後の本草学の基本とされた。また、雷斅炮製(薬剤の加工・調製技術)についてまとめた『雷公炮炙論』を著し、またつなぎにあたる煉合剤などにも工夫が加えられた。『本草経集注』やそれに続く『新修本草』は日本にも伝来した。以後も中国の本草学は漢方薬及び方剤学とともに発展を続け、16世紀後期に李時珍が出した『本草綱目』はその最高峰と言うべき書物であり、江戸時代初めの日本に伝来したほか、周辺諸国のみならずヨーロッパでも翻訳された。

また、古代・中世においては魔術や不老長寿などを目的として天然の物質に加工を加えて、新たな物質を創造しようとする錬金術煉丹術が東西を問わずに発生した。中国では早くから砒素や水銀が注目され、東晋范汪は水銀利尿薬を発明したとされる。だが、同時に水銀中毒の記録も古くから存在していた。


④ 中国からの伝来

ツムラ(参考)