犬は大昔から友達だった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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欧州では新石器時代(日本の縄文時代に相当)からずっと犬は人間の友達だったようだ。日本の縄文時代でも、犬は狩猟を助けてくれる友達であり食用では無かった。

しかし、長江下流域の稲作民(河姆渡文明を源とする呉や越からの農耕民族、Y-DNAハプログループO2)が犬肉食の文化を持ち、真っ先に九州に渡来し、また朝鮮半島にも渡来して同様な文化を今に伝えている。

弥生時代後期からの日本列島でも、九州を除く本州・四国の多くの民は四足獣を忌避する文化を持ち、魚食となっている。彼らはアジア大陸で活躍した騎馬民族(Y-DNAハプログループ D2)に由来して犬を猟犬として友達にしていた文化の名残りと考えられる。

江戸時代の東日本の武士に九州と同様な犬肉食の文化が残ったが、徳川綱吉による生類憐みの令で禁止されたとされている。


参考

① 新石器時代の「愛犬」、人と一緒に埋葬

AFPBB(2019.3.1、参考)


【AFP=時事】約6000年前、現在のスペイン・バルセロナの近くにあった新石器時代の集落では、人と犬との関係が「この世」「あの世」を問わず密接な関係にあった。

この時代に人と犬が、狭い集落の中で一緒に暮らしていたことを示す考古学的証拠は、少なくとも4か所の遺跡から見つかっている。見つかった証拠からは、人と犬とが共に働き、主に穀物と野菜の共通の食べ物を分け合っていたことが分かるという。

今回の研究について、スペイン・バルセロナ大学の研究者シルビア・アルビズリ氏は、AFPの取材に「この犬たちは新石器時代の地域社会に完全に溶け込んでいた」と話している。

アルビズリ氏らのチームが考古学誌「ジャーナル・オブ・アーキオロジカル・サイエンス・レポーツ」に最近発表した論文によると、犬に与えられたこの「特別な地位」は死後も継続していたことが分かったいう。

20か所以上の円形墓地では、犬の一部もしくは全身の骨が、男性や女性、子どもらに寄り添うように丁寧に埋められていた。

だが、人とともに永遠の時を過ごすように選ばれた犬たちは、その特権と引き換えに極めて高い代償を払わなければならなかった。人が埋葬される際にその命を奪われていたのだ。

埋葬されている犬の年齢は1~6歳で、生後12~18か月と推定される個体は全体の約4分の1に上った。これについてアルビズリ氏は、「子犬や1歳(程度)の犬が選ばれていることは、いけにえにする意図を示唆している」と指摘した。

■犬が食べられることはなかった

また、若い犬が優先的に選ばれている理由は、見張りや家畜追いなどの務めを果たせるようにすでに訓練を受けた年長の犬を失いたくなかったという理由も考えられる。

さらに、埋葬された犬の骨に切断痕がないことから、埋葬の前に肉を切り取って食べる行為が行われていなかったことが分かるという。

人と犬が隣り合わせで埋葬されている例は、イタリア北部やフランス南部などにある他の新石器時代中期の遺跡でも見られるが、バルセロナのすぐ北にあるボビラ・マドゥレイ墓地遺跡は埋葬されている犬の数が他のどの遺跡よりも多かったと、論文は指摘している。

今回、調査の対象となった犬26匹は、9匹を除いたすべてがここで発掘された。

人が犬を利用し始めた当初の目的は、狩猟や恐らく運搬のためだったと科学者らは推測する。

約1万年前に人類が定住して農業を行い始めた時、犬はよそ者や野生動物、特に犬の進化上の近縁種にあたるオオカミなどの侵入を防ぐ見張り役となった。また、ヒツジ、ヤギ、ウシなどの他の家畜化された動物の群れを追う方法も習得した。「犬は、新石器時代の人類集団の経済において重要な役割を担い、家畜の群れや定住地の見張りを任されていた」と研究チームは指摘している。

今回の論文で取り扱われている犬は体高50センチ程度、体重約15キロの中型犬で、「現在のピレネー山脈の牧羊犬」に似ているとアルビズリ氏は説明した。ピレネー山脈はフランスとスペインを隔てる山脈だ。

新石器時代の犬の扱いが別格だったことは、スペインの墓地遺跡で見つかった家畜の骨が無秩序に散乱していることからもうかがい知ることができるという。 【翻訳編集】AFPBB News


② 縄文犬は狩猟用であり、食用では無かった(wikiより)



③ 中国南部から九州、朝鮮半島に犬肉食文化が分布している