毛利元就も大内義隆も現代と変わらず、海の幸を主に食していた | 日本の歴史と日本人のルーツ

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戦国時代の毛利元就らと山口の大内義隆の食事の献立が興味深い。

牛・馬・豚と言う家畜の肉が含まれていない。海の幸とジビエ(鶴の肉)と植物のタンポポに、ご飯のお湯漬けであった。

現代の山口県でも、戦前までは海の幸を中心にして、牛・馬・豚を口にしていなかった。


雑談

毛利氏のルーツは菅原氏と同じく、大江氏から土師氏に到達し、そして大内氏は百済の王族であり、共に渡来系氏族である。


参考

毛利家の“戦国食”再現 県立広島大の学生 古文書から500年前の

毎日新聞(2019.2.20、参考)

県立広島大の学生が再現した戦国食=道の駅みはら神明の里で2019年1月28日、渕脇直樹撮影

戦国時代に毛利家が振る舞ったとされる「雲月羹(うんげつかん)」などの料理を、県立広島大人間文化学部(広島市南区)の学生が再現した。古文書を読み解き、できるだけ当時の食材や調味料を使って約500年前の味を復元。三原市で3月23日に開かれるイベント「三矢の訓(おしえ)対談」で披露され、一般向けの試食もある。【渕脇直樹】

“戦国食”の再現は、毛利家ゆかりの広島県三原市、安芸高田市、北広島町が県立大に提案。学部と大学院の学生らが一昨年12月から、当時の文献を参考に57品をリストアップした。この中から、毛利元就が1549(天文18)年、次男吉川元春、三男小早川隆景を伴い、山口の大内義隆を訪れた際に供したとされる、雲月羹、皮煎(い)り、あわひ、お湯漬け、ふくめ――――の5品に絞り込んだ。

雲月羹は野菜や魚肉を煮て寒天で固め、雲の間から差す月の光を表現した料理。当時使われたタンポポ、コノシロの代わりに菊花やサワラを使った。皮煎りは鶴の肉が使われていたとみられるが、鶏で代用。県立大の杉山寿美教授によると、当時なかったしょうゆや砂糖は使わず、だしは文献で確かめられたカツオや昆布でとったという。

5品の試食会が三原市の道の駅みはら神明の里で開かれ、学生や観光関係者らが味を確かめた。市は今後、これらの戦国食を3市町の観光施設で提供し、レシピも公開する方針。

三矢の訓対談は3月23日午後1時、三原市宮浦2の市芸術文化センターポポロで開催。毛利三兄弟の当家に当たる3人が座談会で意見を交わし、5品を試食する。来場者にはこのうち3品をそれぞれ50食、先着順で提供する。問い合わせは市観光課(0848・64・2111)。