明治新国家の軍隊は秦の始皇帝の軍隊の末裔であった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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明治維新後の国民皆兵の兵士達は江戸時代までの武士の鎧兜とは全く異なり、秦の始皇帝の軍隊がモデルとなった兵馬俑の兵士達と同じくユニフォームを着用している。古墳時代の埴輪の武人が、やはり似たような姿形の人形を並べている。

現代の軍隊は何処の国でも画一的なユニフォームを着用しているが、日本が明治維新後に欧米のスタイルを参考にしたと考えられるが、秦の始皇帝の末裔として価値観がドンピシャに一致したと言える。


① 秦の始皇帝の兵士達をモデルにした兵馬俑

容貌や体格は全員違うが服装は同じユニフォームで、整列している。



② 西南戦争での官軍の制服(wikiより)

幹部は同じデザインの軍服であり、また、兵士もユニフォームになっている。



③ 今城塚古墳公園の埴輪(参考)

よく似た武人などの埴輪が整列している。



④ 西南戦争時の薩摩軍の服装(wikiより)

個々、異なるデザインの鎧を着用している。

西郷隆盛(中央)と幕僚達
黒の軍服が官軍、着物を着用しているのが薩摩軍


参考

① 江戸時代の武士達は個々、自己主張するてんでバラバラの鎧兜を着用していた(参考)



② 明治維新後の学校教育は制服を着て、整列して座るが、江戸時代まではてんでバラバラな個性尊重の教育であった