埼玉県比企郡嵐山町大字菅谷あたり | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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関越自動車道を東松山ICで下車して国道254を北上すると丸木美術館、安岡正篤記念館、菅谷館跡を通り過ぎて、天然温泉の嵐山渓谷健康センター平成楼をよく利用した。

当時、歴史にも、美術にも興味が無く、通り過ぎた名所を改めてグーグルマップで探訪する。


① 畠山重忠の菅谷館跡

菅谷館跡、都幾川の北岸
嵐山渓谷の近くに木曽義仲産湯の清水
埼玉県比企郡嵐山町大字菅谷 菅谷館跡


② 安岡正篤記念館



埼玉県比企郡嵐山町菅谷671


③ 丸木美術館


埼玉県東松山市下唐子1401


参考

① 埼玉にある菅谷館跡(FB Ryoichi Kibeさんより)

比企城館群の菅谷館です。中世鎌倉時代の城ですが、遺構は戦国期のもので、非常に良く残っています。鎌倉幕府の有力御家人の畠山重忠の居館とされますが、物証は無く、吾妻鏡にその存在が書かれているのみです。戦国期にはこの地は、河越城、武蔵松山城から上州を伺う扇谷上杉家に対抗すべく、関東管領山内上杉家がこの地を占めたようです。

比企城館群見どころ多しオススメです。

ここには県立の歴史資料館もあります。















埼玉県比企郡嵐山町菅谷757 埼玉県立嵐山史跡の博物館


② 安岡正篤(やすおか まさひろ、参考)

1898年2月13日-1983年12月13日/男性

大阪府大阪市出身の陽明学者思想家教育者。多くの政治家や財界人の精神的指導者や御意見番として知られる人物であり、安岡を師と仰いだ政治家には「吉田茂」「池田勇人」「佐藤栄作」「福田赳夫」「大平正芳」など歴代の首相も名を連ねている。「日本の黒幕」とも呼ばれた人物であるが、本人は「自分はただの教育者にすぎない」と黒幕と呼ばれるのも嫌がっていたとのこと。また「平成」の元号の考案者と言われており、「いつか昭和が終わったら次は平成というのはどうだろう?平和が成り立つという意味だ」と語ったとされている。(参考文献:ウィキペディア+楽天ブックス


③ 原爆の図丸木美術館からのメッセージ(参考)

「原爆の図」をはじめとした丸木位里・丸木俊の共同制作を中心に、位里の水墨画、俊の油彩や絵本原画、位里の母で70歳を過ぎて画家になった丸木スマの作品などを常設展示するほか、年4〜6回の企画展示も行っています。