何故、日本は中国以上に古代中国らしいのか? | 日本の歴史と日本人のルーツ

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2200年前の東アジア、すなわち秦帝国が滅びる前まで、彼の地(現在の中国大陸)は、日本列島を含めて原日本語を喋る人々が活動して、文化を作り上げていた。

その彼らが渡来人として日本列島に移り住んで、日本列島に現地民を含めて皆んな仲良く暮らして、日本文化を磨き上げてきた。かつての東アジア文化は日本で花咲いて現在に至っていることになる。だから、現在の中国大陸の漢民族からもらった文化はそんなに多くは無い。

秦の始皇帝が定めた漢字の書体や漢文にしても、明治時代に作られた和製漢語にしても、中国大陸の漢民族からいただいたと言うよりも、日本人が作って漢民族へ与えたと考えられる。

仏教の伝来や各種文化の渡来について、漢民族からいただいたと言うより、漢民族をスルーして来たと考えたほうが納得出来る。唐帝国への遣唐使などは、遊牧民の鮮卑族が支配する唐帝国を経由して、文物を手に入れたと考えるべきである。

大体、現在の中国大陸の中華文明なんて一貫したものは無く、極論すれば中国大陸では王朝が交代する毎に文化は失われた。最近では文化大革命で相当な文化が破壊されたのを知っている。

大体、腹を出して歩く人は愛国的中国人で、着物を着て出歩く人は精神的日本人として揶揄される現代中国で、中華文明が日本に文明を与えたなんて、ちゃんちゃら可笑しい!


参考

① 中国よりも古代中国らしい日本・・・でも彼らは、自らを中国文化の継承者と考えていない それはなぜ?

Searchina(2018.6.16、参考)


中国メディア・東方網は14日、「どうして一部の日本人は、日本が中国文化を継承していると認めないのか」とする記事を掲載した。

記事は、「韓国人やベトナム人に比べると、日本人は中国文化をリスペクトし続けてきた。なかには『今の日本は、中国よりも中国らしい』と言う人もいるくらいだ。しかし一方で、日本人は中国人が思っているように、日本が中国文化を継承しているとは考えていないのである」とした。

そのうえで、一部の日本のネットユーザーからは「日本文化は独自のものであり、中国文化は異なる」との声が常々聞かれると紹介。中国にいる日本人留学生に話を聞いても、やはり「日本の文化は中国文化を継承したものではない」との見方が多く見られたとし、「どうしてそのように考える日本人がいるのだろうか」と疑問を提起した。

その答えとして記事は、日本人留学生の説明を紹介。ある留学生が「日本はこれまで、いかなる国の文化も『継承』はしてこなかった。中国文化も単に『吸収』したに過ぎないのだ。古代、日本人は中国が先進的だと認識して、中国の文化や制度を採用してきた。しかし、文化全体を見れば、日本の文化は中国文化から枝分かれしたものではない。日本人は、中国文化を採用してそれを改良した。欧州人がローマ文化を吸収したのと同じだ」と語ったとしている。

また、別の留学生が「確かに、4世紀ごろから日本人は中国の物質文化を自国に持ち帰った。持ち帰った芸術品や建築、ファッション、食器などは、時間の経過とともに改良と調整を重ね、日本独特の状況に適応させてきた。日本人の精神は決して簡単な模倣や継承ではなく、実際に使っていく中で自分に合う形で発展させていくというもの。総じて、日本は中国の文化を継承している訳ではなく、中国をはじめとする外国とは異なる独自の文化精神を持っているのだ」と論じたことを紹介している。

しばしば、京都や奈良について、中国の西安や長安の都を「盗んだもの」という表現が中国のネット上では見られる。これは悪意ある表現ではなく、中国国内では失われてしまった当時の様子を完全に近い形で残していることに対する評価と言える。しかし一方で、京都や奈良が古の面影を残したまま現代に到るのは、いわゆる「完コピ」ではなく、時代を重ねる中で少しずつ現地になじむように調節、工夫してきた結果なのだということも、考える必要があるだろう。自国の伝統文化は、やはり自分たちの手で守るべきなのではないだろうか。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)


② 契丹古伝には古代日本が東アジア全体で活躍していたことが書かれている(参考)


③ 日本語の起源

始皇帝の秦帝国や朝鮮半島の三国時代までは原日本語を喋る人々が主流だった。

すなわち、大陸では秦帝国が滅ぶと遺民達は直接に海を渡るが、朝鮮半島経由で日本に渡来した一団もいた。漢帝国になって以降、大陸では漢民族文化が主流になった。朝鮮半島の百済、高句麗、新羅の三国も滅ぶと遺民達は日本に渡来した。