日本人には日本列島が最も住みやすい所である | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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日本は海と言う万里の長城があって、外敵の他に病気も入りにくかった!みんな、外に出るどころか日本列島内に住もうとする理由がよく分かる。

トランプ大統領がメキシコとの国境の壁を厳重にしようとの努力にご苦労さまと言いたくなる。


参考

① 沖縄県はしか終息宣言へ 県内感染者99人

ホウドウキョク(2018.6.13、参考)

  

2018年3月から、沖縄県ではしかが流行していたが、5月以降、新たな感染者が確認されていないことから、11日にも終息宣言が出される見通し。

沖縄県では2018年3月、台湾からの観光客がはしかを発症して以降、5月までの2カ月間で、患者が99人にのぼった。

こうした中、最後にはしかの発症を確認した日から4週間、新たな患者が確認されていないことから、沖縄県は、11日午後にも終息宣言を出す方針。

県は、終息後も再び海外からウイルスが持ち込まれるおそれがあるとして、引き続き、ワクチンの接種を呼びかけている。

沖縄テレビ/FNN


② コレラ(wikiより)、、、日本への到達は19世紀

アジア型(古典型)は古い時代から存在していたにもかかわらず、不思議なことに、世界的な流行(パンデミック)を示したのは19世紀に入ってからである。コレラの原発地はインドガンジス川下流のベンガルからバングラデシュにかけての地方と考えられる。最も古いコレラの記録は紀元前300年頃のものである。その後は、7世紀中国17世紀ジャワにコレラと思われる悪疫の記録があるが、世界的大流行は1817年に始まる。この年カルカッタに起こった流行はアジア全域からアフリカに達し、1823年まで続いた。その一部は日本にも及んでいる。


③ 高病原性鳥インフルエンザはどこから来たの?

日本野鳥の会(2018.6.13、参考)

高病原性鳥インフルエンザは、アジアの広い地域で発生しました。タイ、ベトナム、日本、韓国のウイルスの遺伝子を比較した結果、日本には韓国か、韓国と共通の発生源からやってきたようです。
上の地図で冬鳥の日本への渡りルートと高病原性鳥インフルエンザの発生分布を見比べてみましょう。中国南部や東南アジアで発生したならば、冬鳥が日本に運ぶことはないでしょう。冬鳥の渡りルート上では、韓国および中国東北部吉林省白城で発生しています。これらの地域以北で発生した場合に注意が必要です。


④ ペスト(wikiより)

日本では、明治になって国外から侵入したのが初のペスト流行であるとされている。


⑤ ハンセン病(wikiより)

日本では、古代中世にはこの病気は仏罰・神罰の現れたる穢れと考えられており、発症した者は非人身分に編入されるという不文律があった。


⑥ 梅毒(wikiより)

日本には永正9年(1512年)に中国より倭寇を通じて伝わったとされ、江戸時代初期には徳川家康の次男結城秀康も梅毒に罹患している。日本で流行する前に琉球王国、とくにその花柳界で大流行し、古くから花柳界にいる人の罹患率が高かったので、梅毒は「古血」と称され、また、沖縄では梅毒患者のことを「ふるっちゅ」(古い人)と呼ぶようになった。


⑦ 結核(wikiより)

日本における最古の結核症例は、鳥取県鳥取市に所在する弥生時代考古遺跡青谷上寺地遺跡の発掘調査で検出した5,000体中の2点の脊椎カリエスの進行した人骨である。縄文時代の遺跡出土の人骨からは、結核痕跡が確認されていないので、現在のところ、日本列島における結核はアジア大陸から渡来した人びとによってもたらされたものと考えられる。


⑧ ポリオ(wikiより)

日本では、北海道洞爺湖町縄文時代後期の考古遺跡入江貝塚から出土した女性人骨にポリオ痕跡の可能性が高い遺体が認められる が、日本へのポリオ流入は明治以降であるという有力な反論があり、定説には至っていない。


⑨ 東方浄瑠璃浄土とは日本列島のことであった(参考)


10 3万年前の航海、徹底再現プロジェクト(参考)

3万年前の日本人は、しなくても良い危険な渡海をして小さな島に渡っている。


11 海水面が最も低下していた後期旧石器時代の寒冷期の日本列島は、それでもなおユーラシア大陸と繋がっていなかった。日本にやって来た現生人類はわざわざ海を渡ったようだ(参考)