ある商品がヒットして多くの店が競争しているとよく起こること | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

京都の名物のお菓子の「八ッ橋」の由来やお店の創業の歴史について、老舗同士が争っているとか!

東京の「深大寺そば」についても、お店の創業の由来に相互矛盾がある。かつて、著者が訪れた時、元祖を名乗るお店の隣に本家、その隣が家元、宗家、総本家などを名乗っていた。また、著者の地元の下関の川棚温泉の名物料理になった「瓦そば」に関しても、二つのお店が矛盾する由来を主張しあっているが、今のところ訴訟合戦にはなっていないようだ。


雑談
古代史に関するところでは、江戸時代の伊勢神宮内宮と外宮の争いや伊雑宮と内宮の争いの類を思い出す。北部九州では、宗像大社と宮地嶽神社の間の由緒に関わる争いが宮司の間で暗闘として現在でも続いている。さらに、古事記・日本書紀を正史とし、それ以外を偽書としている。これらの争いで、定説となっている方を否定して、そうでない方を見直すと面白い歴史が見えてくる。


参考

① 「井筒」が「聖護院」提訴、京都「八ッ橋」老舗同士が争い

TBSニュース(2018.6.5、参考)




京都を代表する和菓子「八ッ橋」の老舗同士の争いです。創業の年や由来をめぐり、一方が京都地裁に訴えを起こしました。

訴えを起こしたのは1805年に創業した八ッ橋の老舗「井筒八ッ橋本舗」です。訴えによりますと、井筒八ッ橋本舗は同じく八ッ橋の老舗・聖護院八ッ橋総本店について「元禄2年に『八ッ橋』を創作した事実も根拠も認められない」と主張し、損害賠償600万円の支払いと「元禄2年」「1689年」の表記差し止めを求めています。

「八ッ橋はただのお菓子だが、京都の名産品。信用があってこそお土産品は売れるのです」(井筒八ッ橋 津田佐兵衛グループオーナー)

一方、聖護院八ッ橋総本店は江戸時代の元禄2年・1689年に琴の名手・八橋検校の琴に似せた菓子を「八ッ橋」と名付け、売り出したことが由来だとしていて、訴えについて「現段階では驚いておりまして、お答えしようがございません」とコメントしています。(05日03:56)


② 東京の深大寺そば

・嶋田家、深大寺そばの元祖、文久年間創業。
雀のお宿、深大寺でそばを打ち来客をもてなしたのが深大寺そばの始まり。


③ 下関の川棚温泉の瓦そば


・高瀬の元祖瓦そば(参考)
フグで有名な下関ですが、ここ川棚温泉にも何か名物をつくりたいと、創業者の高瀬慎一が考えていました。そんなときに、古老から「西南戦争では薩摩軍の兵士たちが合戦の合間に瓦で肉や野草を焼いて食べていた」という話を聞き、瓦を使ってうどんや日本そばなどを試しに焼いてみたようです。

・川棚グランドホテル 瓦そば本店・お多福の「お多福の瓦そば(登録商標)」(参考)
江戸時代には毛利侯(長府藩第三代藩主・毛利綱元)が川棚温泉をいたく気に入って本陣をかまえ、 お殿様専用の「御殿湯」や「御茶屋」をつくりました。湯治場として栄えた川棚温泉では、沢山の人が訪れるようになり、治安を守るために庶民でも特別に「瓦」と「土塀」を使うことが許されました。「瓦」が生活にかかせなかった川棚温泉では、瓦の上で色んなものを焼いて食べたというエピソードから「瓦そば」が生まれました。 


④ 元祖だらけの博多・長浜ラーメン 2009年開店でも「元祖」?

マネーポストWEB(2018.6.23、参考)

「元祖」が2つ? 屋号までそっくり

本来なら一つしかないはずの「元祖」が複数、存在することがある。こうした「元祖」が乱立しているのが、博多の長浜ラーメン。「屋台も含めて、そこらじゅうに『元祖』ある」(福岡県民)という。

際立つのが、約150メートルと“スープの冷めない距離”にある「元祖長浜屋」と「元祖ラーメン長浜家」だ。

「長浜屋」が店を構えたのは1974年、「長浜家」は2009年。明らかに後発の「長浜家」は、なぜ「元祖」を名乗るのか。

「『長浜家』はもともと、『長浜屋』で働いていたメンバーで始めました。お客さんもどうせなら『元祖』に行きたいし、似た感じの名前にした」(店長・松本忠芳氏)

博多語での元祖は、箔をつけるための修飾語なのか。

※週刊ポスト2018年6月29日号