被爆直後の長崎の市内の日常生活の写真の一部を切り出してきた。
時代背景を無視した不届きな発言を許して頂ければ、素敵な女性の服装に現代のビジネスウエア的なセンスを感じた。戦後の急速な復興と発展を予言している写真ですね!
参考
進駐米兵が写した被爆後の日常 長崎原爆資料館で公開
もんぺ姿の女性、制服姿の男性、リヤカーを引く女性――。焼け野原を背景に写真に納まる人たちの表情はみな穏やかだ。1945年9月に長崎に進駐した米兵が撮影した。今年、来日した米兵の遺族が長崎原爆資料館(長崎市)に写真37点を寄贈し、資料館が一部を1日から公開している。
米軍中尉だったジョン・オーウェン・メイ氏(1920~2005)が撮影した。メイ氏は原爆投下から1カ月半後の9月下旬に長崎港に上陸した米軍の第2海兵団に所属。プライベートでカメラを持ち歩いて撮った写真とみられる。
倒壊した浦上天主堂や骨組みだけになった軍需工場といった風景だけでなく、裸の幼い少年や、ちょうちんを作る家族の姿など人物を写した写真も多い。資料館の奥野正太郎学芸員は「部隊のオフィシャルな記録として米公文書館に残っている写真とは違い、当時の人たちがどういう服装をして、どんな家に住み、どんな生活をしていたかが分かる。個人の趣味や関心、何が心に残ったかが伝わってくる」と話す。