秦の始皇帝の作った高規格道路、馳道と直道 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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秦の始皇帝はやる事が大きい!道幅70mの軍事専用道路を建設していた。

秦は滅びて800年後、日本に渡った秦の末裔達が、日本で道幅10mの官道を全国に張り巡らせた。時代が下って江戸時代の街道の貧弱さから見れば、古代の官道は現代の高速道路のように大規模と思っていたが、始皇帝の建設した道路は更に大掛かりであった。

国土のインフラ整備は中央集権でないと実現しない!江戸時代のような群雄割拠の幕藩体制では、互いに防御のためにインフラをわざわざ貧弱にすることになり、川に橋を架けない、わざわざクランク状に道を曲げたり、人一人しか歩けない細道にしたり、公共交通は人が担ぐ籠などと悲惨なことになる。

雑談
この秦の馳道は漢民族を取り囲むためのものと考えられる。直道は匈奴に対応して秦代長城に直行する為と説明されるが、逆に秦代長城から咸陽にも容易に直行出来る。秦も匈奴も元々は共に騎馬・遊牧民族であり同族のようなものであり、直道は実は共同して中原の漢民族を取り囲む為のものであった。


参考
 
① 秦の馳道(しどう)と直道(参考)

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始皇帝27年(前220)に始皇帝は、全国に馳道を作った。馳道とは、一般人は立ち入ることはできない皇帝専用の道路だが、この道は戦車も走れる軍用道路である。一旦事あればすぐさま軍隊をおくれるよう、道路の表層は金属製の鎚でたたいて固めてあったという。道幅は五十歩、つまり69・3メートル。また、三丈つまり6.93メートルごとに青松を植えた。馳せる道とは、まさに現代の高速道路である。

始皇帝35年(前212年)には、蒙恬(もうてん)に雲陽(陝西省淳化県西北)から九原(内蒙古自治区包頭市西)まで直道をつくらせた。山をけずり谷をうめ、1800里(700数十キロ、実際の直線距離は600数十キロ)も建設したが、数年たっても完成しなかった。

馳道は国内叛乱鎮圧用である。始皇帝が全国巡遊に通った道とほぼ同一である。直道は北の長城に通ずる軍用道路で、匈奴防衛のために尽速に部隊を送るためである。

秦末群雄蜂起のときには、趙の李良軍は井陘(せいけい)から西進しようとしたが、突然あらわれた秦軍に行く手をはばまれた。この秦軍は、王離の軍と考えられる。王離は九原から馳道をいそぎ、井陘(せいけい)に出たと考えられる。また、一部の部隊を直道をぎゃくに進んで首都咸陽の防衛のために送ったことだろう。

もともと秦の北方には、始皇帝の嫡子扶蘇(ふそ)が軍監、司令官は蒙恬の30万人が、匈奴防衛の任についていた。扶蘇が趙高と二世皇帝に迫られて自殺したとき、副将の王離が指揮権を引き継いでいたのである。参考資料:始皇帝三十五年、為直道、道九原、通甘泉。 (『史記』六国年表)始皇欲游天下、道九原、直抵甘泉、迺使蒙恬通道、自九原抵甘泉、塹山堙谷、千八百里。道未就。 (『史記』蒙恬(もうてん)列伝)

秦直道は秦代に築造された高速道路で、起点は咸陽市淳化県鉄王郷凉五帝村の付近に位置し、咸陽市から100キロメートルのところにあります。国家重要文物保護財です。

紀元前221年、秦の始皇帝は中国を統一すると、匈奴の侵入に抑えるために、蒙恬、扶蘇に命じ、20万の大軍を率いてに国境の関所を守らせました。始皇35年から37年まで(紀元前212—210)、云陽県(淳化県は秦漢の時期に云陽県と言われた)の林光宮から包頭市の西の九原県まで、全長900キロメートル、幅が約45メートルの古代としては世界有数の高速道路を築造しました。淳化県内は長さが約15キロメートルです。

工事は困難をきわめ、山々を切り開き、多くのくぼ地を埋めて南北に直通するため、歴史上に「直道」と言われてきました。秦直道は秦帝国が行った万里長城に続く二番目の大型国防工事で、「古代世界交通明珠」と言われ、2,217年の歴史を待ちます。(中国咸陽市文物旅遊局)

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② 日本の官道

大化改新の後に作られ道幅10m位ある計画道路