方言周圏論の再検討 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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方言は、例えば「カタツムリ、デンデムシ、マイマイ」、「アホ、バカ」の分布のように、京都など近畿を中心に同心円の波動の様に東西に広がるとよく言われる。これを説明する方言周圏論と言う仮説があるり、確かにその様な例は少なくない。そして、外側ほど古い方言とされている。

物理学の分野で中心から同心円状に広がるのは、隣同士の相互作用に基づく波動方程式と、粒子などの物体が衝突しながら飛んでいく拡散方程式に基づくものがある。波動方程式は波動の中心が常に変化している時は外側に放射されるが、変化が止まると、やがて波動は止まり定常化する。拡散方程式は発信源から留まることなく染みて薄まるように広がる。


① 方言で方言周圏論が上手く当てはまりそうな場合、どのように伝播して行ったのであろうか?

⑴ 典型的方言として、カタツムリの名前、デンデムシ、マイマイ、カタツムリ、ツブリ、ナメクジの場合、デンデムシが新しい言葉で、ナメクジが最も古い言葉と本当に言えるのか?!

言葉そのものの由来が全く違うようで、古い方から順番に京都で変化発生したのであろうか?波動方程式にしても拡散方程式にしても、少しずつ外側に移動・拡大していくはずであるが、今でも変化して拡大しているのであろうか?外側の最も古い方言は海に突き当たって消えて無くなるのであろうか?

⑵ アホ、バカの分布の場合、初めは全国的にバカだったのが、京都にアホが生まれて近畿で主に喋られているが、将来的に境界が変化して外側に拡大していくのであろうか?


② 山・谷・川・海の難所があっても人々の交流があれば、言葉は難所を乗り越えて拡散して外側に拡大していくとは思えるが、ちっちゃな川や峠でガラリと方言が変わる例を著者は二箇所知っている。

一つは岡山県と兵庫県の境の船坂峠(国道2号と山陽本線が通る)、もう一つは北九州の小倉北区と戸畑区の境の旧中原(なかばる)村の境川である。

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岡山県と兵庫県の県境、船坂峠は関西弁(京阪式アクセント)と中国地方の方言(東京式アクセント)の境界であり、豊臣秀吉と毛利元就の勢力境界となった。

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北九州市の小倉北区と戸畑区の境界の旧中原(なかばる)村に境川と言う小川が流れているが、東は旧豊前国の外輪東京式アクセント(関門海峡を越えて山口弁に近い)、西は旧筑前国のその他の東京式アクセント(博多弁)と明確に隔てられている。この境界を挟んで、江戸時代まで住民間のいさかいがあったと言われている(参考1参考2)。

以上の方言境界は歴史的・文化的・民族的な境界にもなっていると推定され、容易には変化していない。


③ すなわち、方言周圏論が適用出来そうな方言の単語についても、その方言の単語自体が比較的新しくても、その方言の意味を理解して方言として使用する民族的相違が存在していると考えられる。

アホ・バカの方言については、微妙なニュアンスを区別したい関西弁を話す近畿地方の旧百済人系と、それ以外との間に境界があって分けられると考えられる。

カタツムリについても、デンデムシと呼ぶ関西弁話者が最も新しい百済からの渡来人で、ツブリ、ナメクジと呼ぶ人々が最も古く日本列島に定着した縄文人の系統と言えるかもしれない。ナメクジは現在、カタツムリとは別の殻の無いものを指している。そしてマイマイ、カタツムリと呼ぶ人々は中間の渡来人に対応できる。


参考

① 「全国アホ・バカ分布考 ~ はるかなる言葉の旅路」は、まじめな本です(参考)。

はるかなる言葉の旅路、古語は辺境に残る。

むかし、京の都でひとつの魅力的な表現(言葉)が流行すると、やがてそれは地方に向けてじわじわと広がって行った。つまり、言葉は旅をした。そして、次にまた新しい表現が亰で流行ると、これもまた、先の表現の後を追って地方に旅立つ。

まるで水面の波紋の様に、言葉は同心円の輪を広げながら次々と遠くへと伝わって行く。結果、古い表現、言葉は亰から遠い所に残った。バカは古い言葉で、アホは新しい言葉。これがこの本でわかる。

そのほか、この本はアホバカの部類の言葉を全国的に集め整理している。(下記の本書目次を見て下さい)

著者はTV放送局の人で学者ではないが、学会発表までしている。また、アホバカの研究が、学者のプライドという壁で、まったく手つかずであったことが、一番面白い。

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<本書の「アホ・バカ方言全国語彙一覧」から抜粋>
【京都府】 
(府下で広く使われている言葉)
アホ系・・・アホ・アホウ・アホー・アホンダラ・アホタレ・ドアホ・アホケ・アホチン・アッポー・アハー・アハータレ・ハータレ
ボケ・ホウケ(惚け)系・・・ホウケモン・ホウケサラシ
(府下の一部地域の言葉)
バカモン・バカモノ・バカタレ・バカ・スカタン・マヌケ・ヌケ・ヌケサク・フヌケ

例えば・・・・新潟県では
【新潟県】 
(県下で広く使われている言葉)
バカ系・・・バカ・バカタレ・バガ・ウ(ッ)スラバガ・ウスバガ・ハンバガ・バガメラ・バガヤロ・バガメロ・バガガキ・バガメ・バガタレ・バガクサイ・ドスバカ・ブアカジャネー・バッケヤロー
(県下の一部地域の言葉)
ウスラ系・タラズ(足らず)系・アホ系・ダボ系・フヌケ系・アッタカサ系・タワケ系・グダ系・ほか多種

例えば・・・・宮崎県では
【宮崎県】 
(県下で広く使われている言葉)
バカ系・・・バカ・バカタン・バカタレ・クソバカ・ヤサシバカ・コヤサシバカ・バカスッカン・バカスカタン・バカドンタ
(県下の一部地域の言葉)
ホンジナシ(本地なし)系・ほか多種:ダラ・タラン・ダロ・ゲドー(外道)・ハンチュー・アンポン・アンポンタンなどなど

例えば・・・・神奈川県では
【神奈川県】
(県下で広く使われている言葉) 
バカ系・・・バカ・バカヤロウ・バカスカシ・バカッタレ・ウスラバカ
(県下の一部地域の言葉)
クソッタレー・マヌケ・ヌケサク・アホ・アンポンタン・オタンコナス・ボケナス・オタンチン・スッポーダツ・ノータリン・ボンクラ・クルクルパー・タワケなどなど 

「全国アホ・バカ分布考 - はるかなる言葉の旅路」  松本 修 (著)  新潮社-新潮文庫 (1996)
第一章:「アホ」と「バカ」の境界線 全国アホ・バカ分布図に向けて|第二章:「バカ」は古く「アホ」はいちばん新しい 恐るべき多重の同心円 古典に潜むアホ・バカ表現|第三章:「フリムン」は琉球の愛の言葉 「ホンジナシ」は、本地忘れず|第四章:「アヤカリ」たいほどの果報者 「ハンカクサイ」は船に乗った 言葉遊びの玉手箱 分布図が語る「話し言葉」の変遷史|第五章:「バカ」は「バカ」のみにて「バカ」にあらず 新村出と柳田国男の「ヲコ」語源論争 周圏分布の成立 学会で発表する|第六章:「アホンダラ」と近世上方 江戸っ子の「バカ」と「ベラボウ」 「アホウ」と「バカ」の一騎打ち|第七章:君見ずや「バカ」の宅 「アハウ」の謎 「阿呆」と「馬家」の来た道|エピローグ:方言と民俗のゆくえ|アホ・バカ方言全国語彙一覧 |


② アホは関西以外には普及したかった(参考)

「あほ」の語源は、諸説ある。ポルトガル語で間抜けを意味する「アファウ」から来たという説、秦の始皇帝が造営した巨大宮殿・阿房宮(あぼうきゅう)の故事という説などだが、松本修さんの著書『全国アホ・バカ分布考』(新潮文庫)による新説も有力だ。

それによると、戦国時代に中国江南の方言「阿呆」が日本に伝わり、それが「アホウ」になったという。それより一世紀ほど以前から、「ばか」という言葉が京都で使われていて、これは全国的な共通語として広まったのだが、後の輸入言葉である「あほ」は、関西以外には普及しないままに終わったのだという。

東京が日本の中心になるまでは、上方が日本の文化の発信源であったことが、このことからもよくわかる。言葉的には「あほ」の方が、トレンディな表現であったのだろう。


③ 方言周圏論(ほうげんしゅうけんろんは、wikiより)

方言分布の解釈の原則仮説の一つ。方言周圏説(ほうげんしゅうけんせつ)とも呼ばれる。

方言の語や音などの要素が文化的中心地から同心円状に分布する場合、外側にあるより古い形から内側にあるより新しい形へ順次変化したと推定するもの。見方を変えると、一つの形は同心円の中心地から周辺に向かって伝播したとする。柳田國男が自著『蝸牛考』(かぎゅうこう、刀江書院1930年)において提唱し、命名した。

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④ カタツムリの別名の由来と方言周圏論(wikiより)、、別名の新旧は明らかにされていない。

日本語における名称としてはカタツムリの他に、デンデンムシ、マイマイ、蝸牛(かぎゅう)などがある。語源については諸説がある。

カタツムリ
笠つぶり説、潟つぶり説、片角振り説など諸説ある。なお、「つぶり」は古語の「つび(海螺)」で巻貝を意味する。

デンデンムシ
子供たちが殻から出ろ出ろとはやし立てた「出ん出ん虫」(「出ん」は出ようの意)であるとの説がある。

マイマイ
「デンデンムシ」と同様に子供たちが舞え舞えとはやし立てたことに由来するとの説がある

蝸牛
語源については動作や頭の角がウシを連想させたためとみる説がある

柳田國男はカタツムリの方言(デデムシ、マイマイ、カタツムリ、ツブリ、ナメクジ)の分布の考察を通して、『蝸牛考』において方言というものは時代に応じて京都で使われていた語形が地方に向かって同心円状に伝播していった結果として形成されたものなのではないかとする「方言周圏論」を展開した。ただし晩年の柳田は方言周圏論の問題点を認識するようになっていた。