中央集権と地方分権、フランスとドイツ | 日本の歴史と日本人のルーツ

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フランスはパリに居る大統領を中心とした中央集権国家であり、日本の東京と同じくパリに人口が集中して1216万人おり、2番目の都市であるリヨンは214万人と一気に規模が小さくなる。かつて、フランス王国の王様が一人で絶対王政を行なっていた。

これに対してドイツ連邦共和国は小さな国の集合体であり、各地方の都市(自治体、小国)であるベルリンが337万人と、ハンブルクは173万人、ミュンヘンは138万人、ケルンは102万人とドングリの背比べとなっている。かつてのドイツ帝国やさらに遡って神聖ローマ帝国の時代も皇帝は宗教的権威くらいで、地方領主が実権を持っていた。

かつて、著者が務めていた会社にドイツのある地方自治体の政府関係者が共同研究を持ちかけてきた時の会話に、「予算を実質的に執行出来るのは地方自治体政府であり、ドイツ中央政府には権限が無く、我々の一存で何でも出来る」と話していた。

かつての日本、すなわち江戸時代の徳川幕藩体制が地方分権体制であった。各藩は高度な自治権を持っており、自らの地域を国と呼んで人・物・金を握っていた。徳川幕府は単に諸藩を抑え込むこと、良く言えば調整することが任務とも言えた。まさに現在のドイツと同じであった。これに対し、現在の日本は東京を中心の中央集権国家であり、フランスと同じ体勢であり、人・物・金が東京に集中してしまっている。

国家運営としては中央集権の方が容易となるが、日本の場合、地方自治体は国からの紐付きの交付金と補助金で運営され、さらに人口流出や少子高齢化で劣化している。ドイツのような多くの活力のある地方自治体が機動的に経済活動を仕掛けていく体勢は羨ましい。


参考

① 相次強敵、競争される「ドイツ鉄道」

橋爪 智之:欧州鉄道フォトライター

東洋経済(2017.2.2、参考)

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高速新線NBSを300キロで走るドイツ鉄道の高速列車ICE3(筆者撮影)

日本よりやや小さい35.7万平方キロメートルの国土に、約8177万人(2015年)の人口を擁するドイツ。GDPではヨーロッパ第一位を誇る経済大国で、EUにおける中心的存在だ。さまざまな点でライバルとされるフランスと比べて国土の面積は小さいものの、人口では上回っており、さらに首都パリに人口が一極集中するフランスとは逆に、数十万規模の都市が多数点在しているのが大きな特徴だ。

たとえばフランスは、首都パリ都市圏の人口が1216万人を超えているが、2番目の都市であるリヨンは214万人と一気に規模が小さくなる。ところがドイツの場合は、首都ベルリンが337万人と、パリの約3分の1の人口規模である一方、2位のハンブルクは173万人、3位のミュンヘンは138万人、4位のケルンは102万人と、それほど大きな差がない。100万人規模の都市はこの4都市以外にはなく、いかに人口が国土全体に満遍なく広がっているかが分かる。

これが、ドイツの鉄道網が網の目のように広がり、都市間特急が等間隔でネットワークする基礎を築き上げたと言っても良いだろう。パリを中心として放射状に路線が延びるフランスとは、まさに対称的だ。

東西再統一で鉄道も統合

ドイツの鉄道の歴史は、1835年にニュルンベルクの近郊で約6キロの路線が開業したのが始まりだ。第二次大戦後の東西分断で、鉄道も西ドイツの「ドイツ連邦鉄道(DB)」と東ドイツの「ドイツ国鉄(DR)」に分割されたものの、1989年のベルリンの壁崩壊、翌年のドイツ再統一と時代が移り変わる中、両鉄道も1994年に再統一され、国が全株式を保有するドイツ鉄道(DBAG)が設立された。2013年時点で3万3295キロの路線網を有し、1万9873キロが電化されている。

ドイツ鉄道の発足後、輸送部門とインフラ部門が上下分離されるとともに、これまで各国の国鉄が独占して握っていた鉄道インフラを市場へ開放し、官民問わず新規参入を認めるオープンアクセス法も施行された。

ヨーロッパ域内各国の鉄道事業に大きな影響を与えたオープンアクセス法は、もちろんドイツ鉄道の業績にも少なからず影響を与えた。他国の企業を含む新規参入の事業者がドイツ国内で営業を始めたためだ。

だが、長距離輸送に関しては、すでにドイツ鉄道が多くの都市間できめ細かな列車運行を行なっていることから、新規参入事業者が新たな需要を掘り起こすことは非常に難しいと言わざるを得ない。

{390F513B-3CB9-4E85-8574-A08AD7FB8F99}ハンブルク-ケルン間を結ぶHKXは、現在週末の1往復のみで風前の灯だ(筆者撮影)

その一例として挙げられるのが、ハンブルク-ケルン間を結ぶハンブルク・ケルン・エクスプレス(HKX)だ。HKXは、2012年7月より運行を続けてきたが、乗客数の伸び悩みから年を経るごとに徐々に運行本数が減らされていき、2017年1月現在では、ついに金・土・日に各1往復ずつと、いつ廃止されてもおかしくない状況となった。

ハンブルク-ケルン間には、すでにドイツ鉄道が在来線特急に相当する「インターシティ(IC)」を運行しており、その本数も1時間に1本の頻度だ。いくらドイツ鉄道より安い運賃とはいえ、現在のような週末のみ運行というスタイルになる以前も1日数往復しか運行していなかったため、わざわざこの列車を選んで乗ろうと思う人は少なかっただろう。パターン化されて分かりやすいダイヤと、高頻度運転がドイツ鉄道の強みとなっている。

新たな挑戦者は成功するか?

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ベルリン-シュトゥットガルト間を結ぶ新たな運行会社Locomoreの客車(筆者撮影)

このように新規事業者が参入しにくい環境の中、2016年12月から新たな運行会社「ロコモア(Locomore)」がベルリン-シュトゥットガルト間で運行を開始した。同社の代表者であるデレク・ラドウィグ(Derek Ladewig)氏は、HKXの設立にも関わっていた人物だが、米国投資家との戦略的方向性の違いから幹部数人と共に同社を離れ、ロコモアを新たに設立した。

ロコモアによる列車は、ベルリン-シュトゥットガルト間を1日1往復運転。途中でハノーファやフランクフルトなどの都市を経由するとはいえ、本数の少ない長距離列車が果たしてどれほどの集客を見込めるのかは未知数だが、早くも次のダイヤ改正では、ミュンヘンやケルン・ボン、ドイツ北部のビンツへ路線網を拡大する計画とのことだ。ドイツ鉄道が長距離輸送で強みを発揮する中、経営を無事に軌道に乗せることができるのかが注目される。

そのドイツ鉄道では、1991年に運行を開始した高速列車ICEが長距離輸送の主力となっている。ICEは年を経るごとに運行路線を拡大し、現在は主要都市の大半をカバーするネットワークへと成長した。車両は、運行開始時に製造されたICE1と、それほど需要の多くない路線用に編成を短縮し、設備も簡素化したICE2、最高速度を時速300キロメートル以上とし、周辺各国への乗り入れも考慮した「ICEの決定版」といえるICE3、そしてICE1・2の置き替え用として登場した次世代型車両ICE4の4車種からなる。

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最新型のICE4は、ICE1・2や在来線のインターシティを置き換える目的で登場した(撮影:勝山修行)

最新のICE4は、ICE1・2や在来線優等列車のインターシティの置き換えを目的としていることから、最高速度はICE1・2の通常速度と同じ時速250キロメートルに抑えられている(ICE1・2は遅延回復時、最高時速280キロメートルで走行することが可能だが、ICE4では高い加速力により、同じダイヤで運行することが可能となっている)。

最高速度を高めるには相応のコストが発生するため、ICE4は使用する路線を考慮して適切な速度上限を設定したといえる。ICEネットワークの拡大にともない、在来線の特急に相当するインターシティは今や完全にICEを補完する役割の列車となっており、ICE路線網から外れた地方路線や、ICEが通過する駅などの需要を担っている。

都市部や貨物では新規参入組が健闘

一方、都市圏の地域旅客輸送に関しては、オープンアクセス法施行によってドイツ鉄道への影響が生じている。地域旅客輸送はドイツ国内の各16州が管轄責任を負っており、競争入札によって事業者を決定、運行を委託する仕組みだ。前述の長距離輸送と異なるのは、鉄道事業者が各州と締結する契約によって一定額の収入が保証されている点で、民間事業者にとっても参入しやすい。

結果として、フランス系のトランスデヴやオランダ系のアベリオ、英国系のナショナル・エクスプレスなど、多くの外国資本系運行会社がドイツ国内都市圏輸送へ参入しており、2013年時点でドイツ鉄道以外の事業者のシェアは26.4%に達している。

また、物流においてもオープンアクセスにより多くの民間会社がドイツ国内の貨物事業へ参入している。貨物輸送の実績でも、ドイツ鉄道以外の事業者のシェアは2013年時点ですでに33.2%に達しており、その割合は年々増加傾向にある。

だが、ドイツ鉄道もただ新規参入業者にシェアを奪われているだけではない。失った収益分を補てんする目的から、2010年には鉄道・バスを各国で運行する英国系の会社アリーバを買収し、同ブランドで他国の交通事業へ進出を図っている。また、ドイツ鉄道貨物部門のDBシェンカーは、オープンアクセス法の施行によって他の事業者が参入してくることは避けられないと判断、逆に近隣諸国の鉄道貨物会社を買収することで、事業エリアをドイツ国内のみから欧州全体へと拡大した。

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主に在来線の優等列車として活躍するインターシティ(筆者撮影)わ

いわゆる航空業界や船舶で言うところの「ナショナルフラッグ」に位置するドイツ鉄道だが、同業他社のみならず、他の交通機関との競争にもさらされている。特に、2013年1月より市場自由化された、長距離路線バスの動向が気になるところだ。これまでドイツでは鉄道輸送を保護するため、長距離バス市場に規制が掛けられていたが、それが撤廃されたのだ。

2012年には約300万人だったとされる長距離バスの利用者数は、その後の新規参入企業の爆発的な増加により、2014年には1600万人に達したとされる。その影響もあってか、ドイツ鉄道長距離旅客部門の収益が大幅に落ち込んでいる。圧倒的な低価格が売りの長距離バスに、価格に敏感な若者が飛びついたことが大きな理由となっているようだ。また、価格の安いバスに対抗するため、割引運賃の設定を増やしたことも、収益悪化に拍車をかけた形となった。

もはや、価格だけでバスに対抗することは非常に困難なため、既存インフラを生かしたきめ細かいネットワークや、鉄道ならではのスピードとサービスなどで、長距離バスに対抗していくことが望まれる。

鉄道システム全体の見直しを

一方、近年のドイツ鉄道は遅延の発生が目立つようになったことが気になる。これまでドイツの鉄道といえば、ヨーロッパの中では時間の正確さが売りの1つでもあったはずだが、今では駅で遅延の文字を見ない日はないほど常態化している。

その理由としては、ターミナル駅周辺の線路構造がほかの列車へ影響を与えやすい点や、高度にネットワーク化されたが故に、ある一部で発生したわずかな遅延が波及し、先々まで遅延の影響を受けてしまう構造上の問題が指摘されている。今一度、システム全体を見回して、適切なダイヤへ組み直すなど、対策していくことが今後の課題と言えるのではないだろうか。

ヨーロッパ全体から見て、非常に規模の大きく、近代的な鉄道インフラを持つドイツだが、同時に自動車産業と高速道路網も発達しているのが特徴で、旅客輸送においては全体の約80%を道路交通が担っており、鉄道のシェアはわずか8%に過ぎない。ドイツ鉄道には、これまで構築してきた信頼性や安定性などを武器に、ドイツ国内のみならずヨーロッパの鉄道業界をリードする存在となることを期待したい。


② フランスとドイツ(参考)

中央集権と地方分権

両国の政治の仕組みをみても、その間にはきわだった対照がみられる。フランスの強大な大統領制とドイツの議院内閣制からして大きな違いがみられるが、より顕著なのは前者の中央集権制に対する後者の地方分権制である。

フランスはその発端から、ひたすら王権を強化し、王領を拡大することによって形成され発展した国家である。パリとオルレアン一帯を支配するにすぎなかったカペー朝初期の所領が、ほぼ今日のフランス本土全域にまで拡大されたのは、17世紀ルイ14世の時代であるが、これをもたらしたのは、歴代の王が一貫して行なった力による征服の結果に他ならなかった。その国土膨張の過程で、支配を維持し統一を強化するために確立されたのが、パリを中心とする中央集権制度であった。

フランスのこの強力な中央集権制こそ、外に対しては、イギリスとの百年戦争や、新旧両教の争いから起きた三十年戦争など、国家崩壊と分裂の危機を見事にのり越えさせ、内においては、さまざまな人種をフランス国民として同化することを可能ならしめたのである。フランス革命で王政は打倒されたが、中央集権制度は生き残っただけでなく、革命とその後のナポレオン時代にさらに強化されて今日に至っている。フランスの「偉大さ」もこの中央集権制なしにはありえなかったであろう。

一方ドイツでは、1971年の統一以後も、歴史的な諸国並立の状態は引き継がれ、ヒトラー時代と戦後の東ドイツをのぞいて、今日まで地方分権制を維持してきた。鉄血宰相ビスマルクによって実現されたドイツ帝国も、決して一枚岩の統一国家ではなく、連邦制の下に樹立された国家であった。26の邦から構成され、そのうち22邦は従来通り君主制を維持し、それぞれ君主の統治下にあった。22邦とは、プロイセン、バイエルン、ザクセン、ヴュルテンベルクの4つの王国、それに6つの大公国、5つの公国、7つの侯国である。これらに、ハンブルクをはじめ3つの自由ハンザ都市、それに帝国直轄地としてエルザス・ロートリングン(アルザス・ロレーヌ)が加わって連邦を構成した。

第一次世界大戦での敗戦の結果、帝政が崩壊して共和制(ワイマル共和国)に移行するが、この共和制(1919-32)下においても、16の州からなる連邦制を維持した。第二次大戦後西ドイツは、11の州を設けてヒトラー時代に中断された連邦制を復活した。1990年のドイツ再統一後は、東ドイツも5州に再編成されて西ドイツに吸収され、現在のドイツは16の州(そのうち3つは州と同格の市)からなる連邦制をとっている。

ドイツの地方分権は、第一に教育・文化にいちじるしい。ドイツには中央に文部省がなく、教育は州政府の管轄下にあり、各州それぞれ異なる教育行政が行われている。第二には財政である。たとえば中央と地方の予算配分をみると、ドイツでは連邦(中央)政府の取り分がわずか40%であるのに対し、フランスでは70%以上を国がにぎっている。第三は国政に対する地方のチェックである。ドイツの連邦参議院(上院)は、各州政府から任命された議員から構成されており、彼らは州政府の意志に拘束されている。第四にマスメディア、ことに放送である。国営放送中心のフランスに対し、ドイツでは、各州が共同で公共放送を運営している。しかもフランスでみられるような政治の介入を避けるため、州それぞれ各界多様な代表からなる放送審議会が運営に参加する。なお各州には、連邦の越権に対して、憲法裁判所への提訴の道が開かれている。

一方、対極にあるフランスも、ミッテランの社会党政権の下で、中央集権制の弊害を認めて1982年から地方分権に向けて動き始めた。しかし千年を通じてフランスを支えてきた国家の屋台骨に手をつけるようなものであるとか、「封建領主」を復活して国家を解体に導くにひとしいとか、財政破綻や汚職を招くだけだと、分権反対の声は根強い。しかも前途に立ちはだかる壁もまた、きわめて厚い。まずこの国独特のエリート養成校、国立行政学院ENA出身者で固めた政官界指導層、それに中央と地方の公職兼務の慣行(たとえば大臣職と市長職)、さらには極度に細分化された行政単位(市町村の数はドイツの三倍)など、問題は山積しているのが現状である。