旧北海道拓殖銀行小樽支店 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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現ホテルビブラントオタルのロビー

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現ホテルビブラントオタルのロビー

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現ホテルビブラントオタル、旧北海道拓殖銀行小樽支店

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現ホテルビブラントオタル、旧北海道拓殖銀行小樽支店


参考

① 現ホテルビブラントオタル(参考)

この建物が竣工した時期は小樽経済の最盛期で、旧三菱銀行や旧第一銀行とともに「北のウォール街」の一角を飾りました。鉄筋コンクリート構造としては、北海道で初期の建物で、タイル張りで簡素にまとめられています。

設計は当時の大蔵省営繕課で、中でも矢橋賢吉は一連の北海道拓殖銀行の本店支店を手がけています。

[建設年]1923(大正12)年[構造]鉄筋コンクリート造4階建、地下1階

小樽市には、 北海道拓殖銀行に合併された北海道銀行(現在の北海道銀行とは無関係)の本店や、 この北海道銀行に合併された百十三銀行小樽支店の旧店舗、 新店舗も現存しています。小樽運河までは徒歩1分。

小林多喜二の代表作「蟹工船」。4歳から小樽に移り住んだ多喜二は後に現小樽商科大学に進学、卒業後は北海道拓殖銀行に入行し小樽支店へ配属され、仕事の傍らで執筆活動を行っていました。

その配属先の小樽支店が現在のホテルヴィブラントとなっています。

小樽支店は大正12年に完成しましたが多喜二はその翌年大正13年に入行。真新しい建物の柱が立ち並ぶ荘厳な雰囲気漂うロピーの中で何を思い勤務していたのでしょうか。

残念ながら現在のロビーはホテルフロントになっておりますが、銀行時代の円柱は当時の面影を残したままそびえております。


② ニトリが「旧銀小樽支店」を取得 「芸術村」美術館に

北海道新聞社(2017.1.6、参考)

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ニトリが取得した「ホテルヴィブラントオタル」

【小樽】家具・インテリア製造小売り最大手のニトリ(札幌)が小樽市中心部の宿泊施設「ホテルヴィブラントオタル」(色内1)の土地と建物を取得したことが4日、分かった。同ホテルは、旧拓銀小樽支店として建築され、現在は市の歴史的建造物に指定されている。同社は、周辺の歴史的建造物を活用した「ニトリ小樽芸術村」の美術館の一つとして活用し、今夏のオープンを目指している。

同ホテルの建物は鉄筋コンクリート造り地下1階、地上4階建てで延べ床面積約3100平方メートル。1923年(大正12年)に旧拓銀小樽支店として建築された。小樽ゆかりのプロレタリア作家、小林多喜二が勤務した建物としても知られる。


③ ニトリ小樽芸術村(参考)

小樽が栄華を誇っていた19世紀から20世紀初頭に建造された旧荒田商会、旧高橋倉庫、旧三井銀行小樽支店の3棟を中心に、それぞれの建物にその時代を華やかに彩ってきた日本や世界の優れた美術品・工芸品を展示公開する。


④ 株式会社ニトリ(wikiより)

北海道札幌市北区に本社を置く、インテリア小売業大手の企業である。似鳥昭雄が創業して一代で大手家具企業に登りつめた。 北海道を中心に南は沖縄まで国内386店舗と台湾に24店舗を展開するチェーンストア指向企業。


⑤ 株式会社北海道拓殖銀行(wikiより)

第二次世界大戦終戦までは特殊銀行であり、その業務を継承して1998年(平成10年)まで存在した都市銀行である。通称は北海道外のマスコミや業界内では北拓(ほくたく)とも呼ばれていたが、一般には拓銀(たくぎん)と呼ばれた。