現在、皇居の二重橋と言えば、例の石組みの眼鏡橋を思い出す。
既に多くの写真で二重橋として紹介され、一般人がいつでも目にすることが出来、本来の二重橋は皇居内に隠れている為、致し方ない。
本当の二重橋は鉄橋に架け替えられ、正門鉄橋と呼ばれている。
皇居正門の石橋以前の木橋、奥に木製の二重橋らしきものが微かに見える。
現在の皇居正門石橋、奥の皇居正門鉄橋(旧二重橋)は殆ど隠れて見えない。
参考
① 皇居正門鉄橋(西丸下乗橋)(参考)
西ノ丸下乗橋(木製の二重橋)は、濠が深いために橋桁を二重にした構造上から「二重橋」の俗称で呼ばれていた。
慶長19年(1614)に西丸下乗橋が架橋されたときの擬宝珠が江戸城最古の貴重な金石文として平川橋に現存する。下乗橋とはその手前で駕籠を降りることを意味する。橋の構造上から二重橋と呼ばれているが、正式名称は「皇居正門鉄橋」である。明治22年に鉄橋となり、木製の二重橋が現存しないため、現在は正門石橋と正門鉄橋を合わせて二重橋と呼ぶのが通説となっている。
正門鉄橋(旧二重橋)
西ノ丸下乗橋(木製の二重橋)は、濠が深いために橋桁を二重にした構造上から「二重橋」の俗称で呼ばれていた。
旧二重橋
② 皇居正門石橋と鉄橋の架け替え時期(参考)
「皇居正門鉄橋」は、1614年(慶長19年)当初、二重構造(木造)であったことが、名前の由来となっています。現在の橋は、明治宮殿造営(完成明治21年)に当り、錬鉄製の橋に架け替えられ、更に昭和の新宮殿造営(竣工・昭和43年)に先立ち、意匠など大幅な変更をせず架け替えられて現在に至ります。
一方、「皇居正門石橋」は、1888年(明治20年)12月、明治宮殿が竣工する前年に完成しました。石造りアーチ橋には、花崗岩が使用され、照明灯や高欄を含め、西洋建築の意匠が採用されています。