母親の子供(高等女学校)時代は戦争時代に重なり、思い出話は畑で芋掘りをした話で、勉強の話は出てこなかった。戦後も一年間程は授業が無かったとか!86歳になる現在でも勉強が出来なかったことを残念に思っている。
昭和15年(1940年)、高等科女子が授業として農業の手伝いをしている(ふるさと下関より)。
昭和19年(1944年)、中等学校では3年生以上の学生は工場動員となり、1・2年生は農家に宿泊し、食糧増産のため農作業を行なった(ふるさと下関より)。
参考
戦前の学校制度では、尋常小学校6年生を卒業した後、就職する他、大まかには旧制中等学校(4〜5年)に入学するか、高等小学校(2年)に入学した。