黒井村と誠意小学校 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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100年前の豊浦町黒井村と現在を比較する。当時は鉄道も国道191号線も無く、梅ケ峠、厚母郷、杜屋神社参道前、礼拝山山麓と続く街道が一本あったのみである。

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明治40年(1908年)頃、黒井村と誠意小学校(ふるさと下関より)

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平成28年(2016年)現在、南の礼拝山上空から、黒井村と誠意小学校あたりをグーグルアースで撮影

誠意小学校付近に国道191号線、鉄道さらに黒井村駅が出来、さらに西となりの町、室津への道路が出来た結果、ここの周辺が住宅街となっていったことが見とれる。


参考

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礼拝山を国道191号線から撮影(参考)

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現在、室津と黒井を結ぶ道路は100年前は無かったが、礼拝山の北側の山麓あたりの川沿いに道幅の狭い旧道があった。