初めての山口国体を迎える下関 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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下関の歴史を写真集にした「ふるさと下関」を眺めていたら、164、165ページに下関市街地と路面電車と言う題の写真があった。正面奥に今も存在する下関第一ビルが写っていたので、場所は竹崎町から豊前田町までの国道9号線沿線と特定出来た。年代は昭和29年頃とあった。

しかし、原本の左上をよく見ると「第18回国体」と言う看板が有った。これは昭和38年(1963年)に開催された山口国体のことであった。著者の11才のときである。すなわち、この写真は昭和38年の国体開催を迎える準備期間に撮られたと推定した。

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昭和38年(1963年)頃の竹崎町から豊前田町の国道9号線

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現在の竹崎町から豊前田町の国道9号線


国体歓迎の塔

第18回山口国体秋季大会が山口県下で開催された。下関では高校硬式野球、軟式テニス、ウエイトリフティング、クレー射撃、バドミントンの5種目が行われた。写真は下関の玄関口である下関駅前に建てられた歓迎塔。〈竹崎町·昭和38年·提供=下関市〉

(下関市の昭和より)(彦島のけしきより)


参考

① 写真中央の路面電車207号は大正15年の開業時に購入された8両のうちの1両とのこと(ふるさと下関より)


② 当時11才の筆者は小学校の遠足か何かで、安岡町蒲生野の深坂溜池近くのクレー射撃場の射撃競技を見学した記憶があるが、国体のクレー射撃会場であった。


③ 国体旗の行進

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昭和38年(1963年)9月、漕艇競技が豊田湖で開催され、国体旗を持って矢田付近を行進した(ふるさと下関より)。


④ 昭和天皇皇后両陛下の来関

下関駅前で歓迎(昭和三十八年) 、第十八回国民体育大会秋季大会にご出席の天皇皇后両陛下は十月二十九日、下関駅に着かれたのち、林兼産業へ向かわれる。(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


皇太子殿下妃殿下の車列 第18回山口国体夏季大会にご臨席になられた皇太子殿下(現上皇)が皇太子妃殿下とともに立ち寄られた。写真は細江町を行く車列。この日は春帆楼に宿泊された。〈細江町,昭和 38 年,提供 = 七野佐都子氏〉(下関市の昭和より)(彦島のけしきより)


⑤ 著者が11才の時の下関駅あたり(参考)


⑥ 池永正明率いる下商が甲子園で春優勝・夏準優勝を果たした(参考)