下関市岬之町から東南部町あたりで自動車道が三線並行して走っている訳 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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下関市の下関駅から唐戸町までの国道9号線をたどってみたところ、自動車道が3線、ところによっては4線並行に走っている。こんな贅沢な市街地を見たこと無い。

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観音崎町辺りを東上空から見下ろす。

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観音崎町辺りから南部町

実は、古代からの道の旧山陽道、埋め立てて作った新道(国道9号線と電車軌道)と鉄道から出来ていた!そして、電車軌道と鉄道を廃止して自動車道にしてしまった結果、今の様な贅沢な道路が出来あがった。


参考

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平成28年(2016年)現在

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昭和50年(1975年)、関門海峡側の埋め立てたがされていなく、海響館、はいからっと横丁は無く、海岸に沿って倉庫群がある。

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昭和25年(1950年)、サンデン電車と鉄道線がある。

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昭和5年(1930年)、唐戸から彦島口までのサンデン電車が無い。

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大正9年(1920年)、唐戸までの鉄道線が無い。